どんな都市伝説?
作者が死に、結局牛の首という怪談は分からないままに
いわば都市伝説である。
余りにも恐ろしい話の為、これを聞いた人は3日と立たず死んでしまうという恐ろしい怪談である。
そのせいで、怪談の作者も永久にこの話を封印したまま死んでしまい、今では「牛の首」という題と、「それがあまりにも恐ろしい話」だという事のみが今に伝わっているという。
出典:ピクシブ百科辞典
学校教師が生徒たちに牛の首を話すと…
その人物は小学校の教師である。 彼は学校の遠足の時に、 バスの中で怪談を子供たちに語り聞かせていた。 彼は声を潜めると子供たちにこう言った。 「これから話すのは『牛の首』という怪談だ。牛の首とは・・・」 ところが、彼が話を始めた途端にバスの中に異変が起きる。
子供たちが物語のあまりの恐ろしさに怯え、 口々に「先生、もうその話しはやめて!」と訴えだしたのだ。 ある子供は真っ青になりながら耳を塞ぎ、 別の子供は大声を上げて泣き叫ぶ。 ところが、それでも彼は話をやめようとしない。 彼の目は虚ろで、まるで何かに取り付かれたかのようであった・・・ しばらくするとバスが急に停止した。
異変を感じて正気に戻った彼が運転席を見ると、 バスの運転手が脂汗を流しながらぶるぶると震えている。 おそらくこれ以上は運転を続けられないと思い 車を止めたのであろう。 さらに辺りを見まわすと、 生徒たちは皆口から泡を吹いて失神していた。それ以来、彼が「牛の首」について何かを話す事はなかったという。
この怪談は、天保の大飢饉から生まれた?
飢餓で死ぬ農民が一気に増えて、死体を食べる者も現れた
作者は天保の大飢饉の悲劇を伝えるために、この怪談を作ったのかもしれない
天保3年より、数年にわたり大飢饉が襲った。これは俗に言われる「天保の大飢饉」である。当時の農書によれば、「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく食物を奪い合い、畜生道にも劣る」といった悲惨な状況であった。
天保4年の晩秋夜もふけた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。ふらふらと彷徨い歩くその身体は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。数人の村人が捕まえようとしたその時、松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」と口々に叫びながら、その異形の者を捕らえて闇に消えていった。
出典:ザ・オカルトサイト
翌日には、村中でその話がひそひそと囁かれたが、誰も隣村まで確認しに行く者はいなかった。その日食うものもない飢饉の有様では、それどころではなかった。翌年には秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。その折に隣村まで行った者の話によれば、すでにその村に人や家畜の気配はなかったとのことだった。それ以降、その村は「牛の村」と呼ばれたが、近づく者もおらず、今ではその名を呼ぶ者もいないという。
重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を立った。役人はその場での解釈は避け、役所に戻って調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。先輩は天保年間の村民台帳を調べながら、自らの考えを述べた。
「大飢饉の時には、餓死した者を家族が食したという話を聞いたことがある。しかし、その大木のあった村では遺骸だけではなく、弱った者から食らったのだろう。
そして、生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、牛追いの祭りと称し、牛の頭皮を被せた者を狩ったのではないだろうか。お前の見た人骨の数を考えると、その村に住んでいた村人の数にほぼ相当する。また牛骨も家畜の数と一致する。
飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。村民はもちろん、親兄弟も凄まじき修羅と化し、その様はもはや人の営みとは呼べないものだっただろう。このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。また南村に咎を求めることもできまい。
人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、このことが話されるのもはばかりあることである」
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後誰にもこの話は語らず、心の奥底へとしまい込んだ。
日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は戦乱の世を憂い、枕元に孫たちを呼び寄せて切々とこの話を語ったという。
出典:ザ・オカルトサイト
学校教師が話した牛の首はこれの可能性が高い!!!
戦前のある村での話だそうです。
その村には森と川を挟んだところに
隣村がありました。
(仮に「ある村」をA村、
「隣村」をB村としておきます。)
B村はいわゆる部落差別を受けていた村で、
A村の人間はB村を異常に忌み嫌っていました。
ある朝、A村で事件が起きました。
村の牛が1頭、死体で発見されたのですが、
その牛の死体がなんとも奇妙なもので、
頭が切断され消えていたのです。
その切り口はズタズタで、
しかし獣に食いちぎられたという感じでもなく、
切れ味の悪い刃物で何度も何度も切りつけ、
引きちぎられたといった感じでした。
気味が悪いということで
その牛の死体はすぐに焼かれました。
しかし、首のない牛の死体は
その1頭では終わりませんでした。
その後次々と村の牛が殺され、
その死体はどれも頭がなかったのです。
普段からB村に不信感を抱いていたA村の人々は
その奇妙な牛殺しを
「B村のやつらの仕業に違いない」
とウワサし、
B村を責めたてました。
しかし同じ頃、
B村でも事件が起きていました。
村の若い女が
次々と行方不明になっていたのです。
いつもA村の人々から
酷い嫌がらせを受けていたB村の人々は、
この謎の神隠しも
「A村のやつらがさらっていったのに違いない」
とウワサし、
A村を憎みました。
そうしてお互い、
村で起きた事件を相手の村のせいにして
ふたつの村はそれまで以上に疑い合い、
にらみ合い、憎しみ合いました。
しかし、そのふたつの事件は
実はひとつだったのです。
ある晩、村境の川にかかった橋で
B村の村人たちが見張りをしていました。
こんな事件があったので
4人づつ交代で見張りをつけることにしたのです。
夜も更けてきた頃、
A村の方から誰かがふらふらと歩いてきます。
見張りの男たちは闇に目を凝らしました。
そして橋の向こう側まで来たその姿を見て
腰を抜かしました。
それは全裸の男でした。
その男は興奮した様子で
性器を勃起させています。
しかしなにより驚いたのは
その男の頭は人間のそれではなく、
牛の頭だったのです。
牛頭の男は見張りに気付き、
森の中へ逃げ込みました。
牛頭の男はA村でも牛の番をしてた村人に
目撃されていました。
その牛頭の男こそ、
ふたつの事件の犯人に違いないと、
A村とB村の人々は牛頭の男を狩り出す為、
森を探索しました。
結局牛頭の男は捕まりませんでした。
・・・いえ、実際には捕まっていました。
しかし、男を捕まえたA村の人々は彼を隠し、
みんな口を揃えて
「そんな男は存在しなかった」
と言い出したのです。
A村の人々のその奇妙な行動には
理由がありました。
A村の人々は牛頭の男を捕まえました。
その男は実際に牛頭なのではなく、
牛の頭の生皮を被った男でした。
A村の人々は男の頭から牛の皮を脱がせ、
その男の顔を見て驚きました。
その男はA村の権力者の息子だったのです。
この男は生まれつき、知的障害がありました。
歳ももぅ30歳ちかいのですが、
毎日村をふらふらしてるだけの男でした。
村の権力者である父親がやってきて問い詰めましたが、
「さんこにしいな。ほたえるな。わえおとろしい。
あたまあらうのおとろしい。いね。いね。」
と、ワケの分からないことばかり言って
要領を得ません。
そこで男がよく遊んでいた、
父親の所有している山を調べると、
女の死体と牛の首がいくつも見つかりました。
異常なのは女の死体の首は切り取られ、
そこに牛の首がくっついていたのです。
男は、B村から女をさらい、
女の首を切り取り牛の首とすげ替え、
その牛頭の女の死体と交わっていたのです。
権力者である父親は
息子がやったことが外に漏れるのを恐れ、
山で見つかった死体を燃やし、
A村の村人に口封じをし、
村に駐在する警官にも金を渡して黙らせました。
そして息子を家の土蔵に閉じ込め、
その存在を世間から消し去ったのです。
しかし、村の女たちが
行方不明のままのB村の人々は黙っていません。
特に、あの夜実際に牛頭の男を見た見張りの4人は、
「牛頭の男など存在しなかった」
と言われては納得いきません。
村人みんなで相談して、
その4人が警察に抗議に行くことにしました。
次の日、川の橋に
4人の生首と4頭の牛の生首が並べられました。
A村の人々は真実が暴露されるのを恐れ、
B村を出た4人を捕らえ、
真実を知っているにも関わらず、
B村の4人に全ての罪をかぶせ、私刑(リンチ)し、
見せしめに4人の首をはね、さらし首にしたのです。
一緒に牛の生首を並べたのには、
「4人が牛殺しの犯人である」
という意味(もちろんデマカセではあるが)と、
「真実を口外すれば同じ目にあうぞ」
という脅しの意味がありました。
この見せしめの効果は大きく、
B村の人々はもちろん、
A村の人々自身も
「この出来事を人に話せば殺される」
と恐れ、
あまりの恐怖にこの事件については
誰も一言も話そうとはしなくなりました。
ふたつの村の間で起きたこの出来事は
全て村人たちの記憶の奥深くに隠され、
故意に忘れさられ、
土蔵に閉じ込められた男と一緒に
その存在自体を無にされたのです。