熊本にある心霊スポット
阿蘇大橋
熊本市と南阿蘇を繋ぐ大きな橋。平成初期は、赤橋と呼ばれていた。
▼自殺者が多い理由
赤橋は谷底が深く、自殺に適していた。そのためここを選ぶ人が急増した。
自殺の名所となっている熊本県の橋。
もともとは真っ赤に塗られていたため赤橋と呼ばれていました。
飛び降りる瞬間を目撃する人も多かったようです。
あまりに自殺者が後を絶たないため自殺防止用のフェンスが設置されています。
橋の中央に貼られているお札が、自殺者の霊魂がいまだ辺りを彷徨っている事を物語っています。
自殺者が増えたせいで
地蔵が設置される
橋の近くには自殺志願を引き留める目的で「まてまて地蔵」という名前の地蔵尊が設置されています。
三井グリーンランド
熊本県荒尾市にある三井グリーンランドにあるアトラクション「廃校への招待状」はいわゆる遊園地のお化け屋敷ですが、ここは本当に出ると噂されています。なんでも実際の廃墟をお化け屋敷として改装したとのこと。
本物の幽霊が出るとお化け屋敷としてテレビ番組でも取り上げられています。あまりにも心霊現象が起きる箇所がありそこは誰も入れないようになっているとか。
「廃校への招待状」が注目されがちですが三井グリーンランド自体に幽霊がいるんじゃないかとの話もあります。単なるお化け屋敷と油断すると危険な目にあうかもしれませんね。
田原坂
西南戦争が起きた場所で、多くの銃弾が交差した。
兵隊の足音がする、金属と金属がぶつかり合う音がする、何者かに足をつかまれる。とにかく何かが起こる田原坂に現れるのは何も兵士たちの霊だけではありません。
戦場の地となった田原坂にもともと住んでいた人たちもたびたび私たちの前に姿を見せます。戦いの巻き添えをくらった人々もまた、無縁仏となって私たちを見ているのかもしれません。
当時は激戦区だった
2週間に及ぶ戦いのうち半分は雨が降り注いでいたと言われています。降り止まない雨と戦いの犠牲者たちの血がまざり、まさに血の海と化していた田原坂。
今では春になると田原坂公園でお花見を楽しむ方もいますが、今から約140年前には滴るほどの血が溢れていた地だったのです。
幽霊になる条件
・強い恨みを持っている
・死んだことが分からない
・やり残したことがある
今まで地球上で亡くなった方たちみんなが霊として私たちと一緒に暮らしていると考えたら、とにかく恐ろしいですよね。あっちもこっちも幽霊まみれです。
でも実際にはそんなことはありません。亡くなってから幽霊になる人とならない人がいるためです。
ある条件を持った人は幽霊となって浮遊しやすいと言われています。その条件とは何でしょうか。
自分が死んだことに気づいていない人
強い未練が残っている人
死んでなんかいない、生きていると思い込んでいる人
これらの人はあの世へ自分を連れにお迎えに来た人を拒否してしまうようで、そのまま地上に残り霊となってしまう、という考えがあります。もちろんこれが本当かどうかは誰にも分かりません。
田原坂での戦いは日本で最も激しい戦いだったと言われているように想像しても決してしきれないほどの壮絶な戦いです。死者約14,000人のうち何人が戦いの途中で死んでしまうことの悔しさや敵への恨みなどを持ったまま亡くなったでしょうか。
美少年像の真実
田原坂で政府軍が放った銃弾は1日322,000発。
これは、日露戦争での第2次旅順攻撃の1日平均300,000発を上回る。
そんな銃弾飛び交う激戦を謡った肥後民謡に「田原坂」がある。
雨は降る降る 人馬は濡れる
越すに越されぬ田原坂
右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱
馬上ゆたかな美少年
植木町長の植木学によると「民謡・田原坂には、元唄があり、作詞者は熊本隊の隊士。田原坂で生き延びた後、濟々黌中学校の舎監となり、明治21年頃、田原坂に遠足した際、作詞した」という。
この唄に登場する「馬上ゆたかな美少年」の像が田原坂公園内にある。
これが誰を指しているのかは定かではないが、西南戦争では、若者、それも失われゆく"侍"という生き方への熱病にかかった純粋な若者が多くの命を散らした。
熊本協同隊の高田露など生き残った人物もいるが、束野孝之丞、そして村田新八の息子・村田岩彦といった若者が命を落とした。
村田は非常な秀才で米国留学もしていたが、帰国後参戦。
その才を惜しんだ上官が後方支援に回そうとしたが、父に「第一線で戦え」と命じられ田原坂に赴いた。
恐らく村田新八も愛息を生き延びさせたかったであろうが、自身の立場を考えると、余計に息子を死地に晒さねばいけないと思ったのだろう。
従軍記者であった後の内閣総理大臣・犬養毅は、戦場に転がる少年兵が岩彦であることを知り「かほどに英学も相応に出来る少年が、賊となり死せしこと、憐むべし」と絶句している。
あるいは、薩軍に田原坂での敗北を急報するため、敵陣突破した三宅源八郎という説もある。
美少年には複数のモデルがいるのだろう。
薩軍は劣勢になるにつれ、兵士の募集要件を拡大していった。
最終的に最低年齢は13歳以上となり、自ずと散る命も増えていった。
廃墟になったホテル
天草パールライン沿いにある廃墟となったホテルです。
宿泊客が首吊り自殺をしてから客足が遠のき閉鎖してしまいました。
自殺のあった部屋は一面コンクリートで埋められたそうです。
この辺りには自殺した者の霊が彷徨っていると噂されています。
行った人の感想
友達と4人で行って
ペアになりじゃんけんで負けた方のペアが
屋上下の階のベランダから
手を振るとゆう肝試しをしました。
数分後、人影が見えたので
手を振ると僕達に振り返してくれました。
数分後、その2人に「怖かった?」と聞くと
「怖すぎて、途中で引き返してきた!」と言われて
鳥肌が立ちました。
僕達は誰に手を振ったんですかね?
三階から上が取り壊されて、太陽光発電のパネルが設置されましたよ
1~2階はそのまんまですが、あんまり行かない方がいいですよ。
2016年4月14日21時26分、熊本を震源とするマグニチュード6.4、震度7の激しい揺れを記録した熊本地震。
気象観測装置HARP(ハープ)を使って起こされた人工地震ではないかといわれている。
HARPは気象情報の調査に使われているが、地震や津波を人為的に起こすことができるされていて、過去にもアメリカのイラク進攻に反対する国で起きた津波はHARPが起こしたと噂されている。
熊本地震はイルミナティが起こした!?
熊本地震には秘密結社イルミナティが起こすとされる「人工地震」に見られる特長がいくつも備わっていたようなのだ。
まず、熊本地震の震源の深さが地中10キロと極めて浅い。その後も、ほぼすべての余震が深さ10キロ前後で発生している。
陰謀論上、現代技術をもってすれば人類は地中を10キロまで掘り下げることができるため、ベクテル社をはじめとするユダヤ・イルミナティ系列の建設会社が掘削作業を担い、核爆弾を仕掛けたというのだ。
さらに、人工地震である証拠として、今回強い揺れに襲われた地域の人々の間では、数日前から異様なプラズマが目撃されていたそうだ。ここ数日、電磁波が通常よりも多く発生しており、電磁波過敏症の人は体調が悪化したとの報告もある。
そしてもうひとつ、熊本地震が起きた2016年4月14日というタイミングに注目してほしい。イルミナティが人工的に地震を起こす場合、月日を足し合わせるなどして、18になるタイミングを好む。
18は、6を3つ足し合わせた数である。この“6の3並び”、すなわち「666」とは、イルミナティが崇拝する悪魔(聖書に登場するする「獣」)を象徴する数字なのだ。
出典:トカナ
そもそも
ルミナティとは
現代のイルミナティの計画とは?
イルミナティは、何を目指しているのか? その答えは「ニュー・ワールド・オーダー 新世界秩序」という言葉に集約されている。一言で言うと、国家の枠組みを超えた少数のエリートで富を独占し、その他の人類はすべて家畜化することだ。
阿蘇に存在した巨大ピラミッド
天下一家の会国際平和記念会館跡は熊本県阿蘇市にあった宗教施設跡。熊本の巨大ピラミッド廃墟とも呼ばれる。
史上最大のネズミ講組織天下一家の会のシンボルとして1978年(昭和53年)に13億円の工費をかけて建設された地上8階建てのピラミッドビル。最上部には瞑想室があり、3階には国際会議にも使える大会議場や貴賓室などを備えた大建造物だったという。
ピラミッドに隣接して大観宮という天下一家の会の神社があり、聖徳太子の1万円の絵があったり、ゼロ戦のレプリカが展示してあった他、室内プール、宿泊施設、講堂、宗教施設、移築民家などが脈絡無く点在していた。
天下一家の会は180万人の会員を集め社会問題となり、ピラミッドが完成した1978年には解散、翌年1979年には無限連鎖講の防止に関する法律(ネズミ講禁止法)が施行され、1980年に破産宣告。
天下一家の会は本部ビル「国際平和記念会館」と関連施設の他にも「大観宮恵那研修所ひかり荘」「大観宮伊豆長岡研修所」など全国16ヶ所に保養所も作ったが、全ての施設を1979年に閉鎖し、それぞれの施設は廃墟化した。
そもそも
天下一家の会事件とは
天下一家の会事件(てんかいっかのかいじけん)とは、内村健一による無限連鎖講(以下ネズミ講と表記)事件である。
名義上は内村健一の主宰する第一相互経済研究所が主宰するものであったものの、後述するように内村の個人事業に等しいものであったことから、実際には内村の主宰したネズミ講と捉えられている。日本最大規模のねずみ講事件であり、大きな社会問題となった。
出典:Wikipedia