はじめに…
冨永愛について
日本のファッションモデル。ボン・イマージュ(東京)、Marilyn(ニューヨーク/パリ)、Why Not(ミラノ)、Storm(ロンドン)所属。2008年現在、日本とパリを拠点に活動中。
出典:Wikipedia
幼少期から背が高く
それがコンプレックスだった
幼少期から背が高く、当時はコンプレックスだったという。
出典:Wikipedia
幼少期の頃
家族関係は最悪だった
冨永の幼少期はとてつもなく貧しかった。母は結婚と離婚を繰り返し、3人姉妹の父親は全員違う。また姉妹には関係のない男性が、常に入れ替わり同居するような生活だったという。
そして母親はネグレクト気味でもあった。
「母は、ほとんど家にいなかった。どこでどういう仕事をしていたのか知らない。(略)たまに帰ってくるときには、酔っぱらっていた」
小学校4年生のとき、学校でいじめられると言っても関心を示さない母。
「お母さん、
呼びかけても、呼びかけても、あなたは答えてくれない」
そんな母を憎みながらも、母に従うしか生きる術のない幼い冨永。そして孤独感を深めていく。
「心はどんどん閉じこもってしまって、“本当のわたし”は、誰にも見せない、誰にも知らせられない、と思うようになった」
小学校の頃
不良男子に絡まれる
冨永愛は小学生の頃から、長身だった。そのため複数の男子生徒からバカにされる。特に不良男子からは「ジャイアン冨永」、「プロレス行ったほうが有名になれる」と言われた。
冨永へのイジメは小学校から、モデル活動を開始した高校時代になっても続いたという。
「学校は毎日、地獄のようだった」
不良男子には毎日のように肩口を小突かれ、なじられた。
「あ…怖ぇ…にらんでんじゃねぇよ! この巨人女が!」
「モデルよりかプロレス行ったほうが有名になれるよって!! ジャイアン冨永!」
あだ名は
宇宙人
背が高くて、ヒョロヒョロしていたので、宇宙人と呼ばれていた。
幼少の頃背が高いことで「や~い宇宙人!」といじめられていたという冨永愛
上履きの中に
画鋲が入っていた
イスに敷いてある防災頭巾の中に画びょうが刺さっていたり、上履きの中に画びょうが入っていたりした
机の中を見ると
「死ね」と書かれた紙が入っていた
「死ね」と書かれた紙が机の中にはいっていたこともあった
出典:NEWSポストセブン
学校では
ほとんど口をきかなかった
「学校では、ほとんど一言も口をきかなかった」と壮絶な学生時代であったことも明かしている。
中学生の頃
自殺未遂を図る
包丁を持って風呂場へ行き、裸になって左手首に刃を押し当てた
出典:スポーツ報知
母に甘えたい。本当の友人も欲しい。それなのに誰も分かってくれない。そんな感情が高ぶったある日、中学生だった冨永は自殺未遂を図ったという。
「わたしは包丁を持ったまま風呂場に入り、空の風呂桶の中で身体を折り畳んだ。右手につかんだ包丁の刃を顔の前に立てて、しげしげとよく見た」
「左の手首に刃を押し当てた。やろう。右手に力を込めた」
しかし死ぬことへの恐怖に、冨永は自殺を思い止まる。
「裸でバスタブの中で膝を抱え込み、わんわん泣いた」
そして冨永はこのとき決意したという。
「みんな、みんな、ぶっ殺してやる!」と。
こうして冨永の人生が赤裸々に語られるのだが、しかしさらに衝撃的な記述が存在する。
「痛い! 痛い!
頸椎と足首に冷たい鉄枷をはめられて、その先には重たい鎖がぶら下がっている。赤錆びて壊れたベッドの上で、わたしは身動きがとれない。
怖い! 怖い!」
「真っ裸の男二人が、ほくそ笑みながら。わたしを万力で締め上げる。皮膚が破れ、筋繊維が破裂し、骨が音を立てて砕ける」
直接的な表現こそないが、まるでレイプすら連想させる記述なのだ。
直後、「ハッと目が覚めた」とあり一見夢のようにも取れるが、しかしその後も「ぶるぶる震えが止まらない。恐怖で震えが止まらない。
2004年
パティシエ男性と結婚
そんな冨永さんは2004年に当時パリ在留のパティシエの男性と結婚しています。
そして翌年の2005年には第一子となる男の子を無事出産。
育児の為、モデル活動を一旦休業していました。
ちなみに妊娠中は体重が16㎏も増えたそうですが、出産からわずか半年後にはモデル活動を復帰。
出産後とは思えないスタイルで皆を驚かせました。
パーティーでバニーガールの格好をすると
旦那さんが激怒
2004年に結婚した元パティシエ。2005年3月に長男を出産するも、2009年に離婚しています。その旦那さんがとても嫉妬深い人だったようでパーティでバニーガールの格好をした富永愛さんに大激怒!
冨永愛に土下座を強要させる
ひと目もはばからず、冨永愛さんに土下座を強要したのが、離婚の原因ではないかと報じられました。確かに公然の場で土下座を強要されれば、誰でも嫌になりますよね。これが事実ならばひどい話です。離婚も納得。
離婚後、数々の男性との交際がウワサされる
その後離婚を発表した直後から、数々の男性と浮名を流した冨永愛さん。まず噂になったのが、紀里谷和明さんとの関係です。紀里谷和明さんとは、二人でデートしている姿を目撃もされていますが、実際に付き合ったりということはなく、本人がきっぱりと否定しています。
塩谷瞬と交際するが
二股される
離婚後、ハリケンレッドを演じた塩谷瞬と交際する。しかし塩谷瞬は、料理研究家の園山真希絵とも交際していた。
冨永愛はそれを知り、塩谷瞬と破局する。
しかし、塩谷さんは同じ時期に料理研究家・園山真希絵さんとも交際していたそう!
この事が判明し、二股交際だと大きな話題になりました。
後日、塩谷さんは記者会見を開き、二股交際を認めています。
両者と交際していた事はもちろん、どちらとも結婚の話もしていたそう!
世間からは相当たちが悪いと叩かれていたようです。
二股だったと知った冨永さんのショックはかなり大きかったと思われます。
これに関して塩谷さんはメディアの前で涙ながらに謝罪しますが、
冨永さんとの溝は修復できず、その後破局しています。
塩谷瞬のコメント
「この度、私、塩谷瞬が自身の無責任で不道徳な行動により二人の女性を傷つけてしまいました」で始まる文面の中で、塩谷は「園山真希絵さん、冨永愛さん、本当に申し訳ございませんでした」と、交際相手だったモデルの冨永愛(29)と料理研究家の園山真希絵(34)に謝罪。
「現在報道されている二股は事実です。お二人と結婚の話をしたことも事実です」と二股交際をすべて認めたうえで、「男として一切の言い訳も許されない無礼であったと本当に反省しています。私が未熟であり、幼稚だったことが全ての原因です」と反省の言葉を並べた。