はじめに…
未来のミライとは
この映画は、家族の繋がり・絆がモチーフになってます。
「未来のミライ」は、昨年7月公開のオリジナル作品。甘えん坊な4歳の男の子“くんちゃん”が、自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ未来からやってきた妹“ミライちゃん”と出会い、不思議な冒険をとおして家族の過去や未来に触れていく。
米国アカデミー長編アニメーション映画賞にノミネートされたほか、世界中の映画賞や映画祭で高い評価を得た。
出典:「金曜ロードSHOW!」で細田守監督「未来のミライ」「サマーウォーズ」2週連続放送 : ニュース - アニメハック
あらすじ
出産のため、暫く入院していたおかあさんが帰ってきた。主人公のくんちゃんは始めて見る妹に興味を示し、おかあさんに「仲良くしてね」「守ってあげてね」と言われ、約束する。しかし、おとうさんとおかあさんは「未来」と名付けられた赤ちゃんの育児に追われるため、どうしてもくんちゃんのことを後回しにしてしまいがち。
そんな日々が続いたことで、未来に嫉妬感を覚えたくんちゃんは、動物の形をしたクッキーを未来ちゃんの顔に並べたり、ほっぺたを引っ張ったり、指で鼻を押したりと未来の顔で遊び、おかあさんから怒られる。
その腹いせにオモチャの新幹線で未来の頭を敲くなどして余計に怒られる。疎外感を感じ、家に自分の居場所が無いように感じたくんちゃんは、庭に逃げる。すると、一人の男がくんちゃんに話しかけてきた。
出典:Wikipedia
未来のミライが面白くない理由
くんちゃんの声が
合っていない
大人の女性が話してる感じ。
くんちゃん声優を変えてみてほしい。
これ4歳の子どもじゃない。
なんで、、、こんなにミスチョイス?
にかく、声優がくんちゃんに合っていない。はっきり喋りすぎて幼さが全くない。大人がむりやり子供役をやってる感がハンパない。そして、くんちゃんのワガママな設定が声のせいもあってただただイライラするだけで全く可愛いと思えずずーっとイライラしたままでした。
公園で会った子供たちの方が大きいのに声が子供らしくて、余計にくんちゃんの声に違和感。
4歳なのに難しい言語を話す&親が話す。分かるわけない…
色んな要素を入れすぎて何が伝えたいか分からない。タイムスリップ?する度に内容に統一性がないから観てて疲れる。
ミライちゃんが
最初と最後しか出てこない
実際は未来のミライちゃんは最初と最後くらいしか出てこずに、くんちゃんは未来というかほとんど過去の世界にタイムスリップして、尚且つその都度その都度現実世界に戻っていくのです。
Aの世界へタイムスリップ→現実に戻る→Bの世界へタイムスリップ→現実に戻る
みたいな。
なぜ映画でこんなにイライラさせられなきゃならないのか…
ただただストレス。
つまらない映画は他にもあるけど、こんなストレスの溜まる映画は初めてです。
更に内容も訳がわからないし。
未来のミライが出てくる必要もわからない。
本当に…ガッカリ
お母さんが
くんちゃんに冷たい
そして両親のくんちゃんへの辛辣な態度。
特に母親。くんちゃんを抱きしめてやれよ!!
子供は無視されるのが一番辛いのに。。。
可哀想でなりませんでした。
過去が今、そして未来へと繋がっているというのには納得しましたが、家族愛が薄過ぎて、普通だったらこの先絶対グレる域。
未来のミライちゃんもうちょっと活躍しても良かったのでは??
まず、未来ちゃんを連れて病院から帰って来たお母さんに違和感を感じました。1週間程、入院していて、ずっと幼い我が子に会えなかったのなら、あのくんちゃんに対するお母さんの反応の冷淡さにびっくりしました!私だったら、待ってくれてた幼い息子をぎゅっと抱きしめるだろうなぁ。
お父さんも慣れない家事も育児もがんばってるのに、ねぎらわないお母さん。2人目育児とは思えないチグハグな夫婦。
赤ちゃんより、まず上の子のフォローが先ですよ!
あれではくんちゃんがかわいそう過ぎる…
くんちゃんは泣き叫んだり、物に当たるしかなくなるでしょう。
しかも、未来や過去の人物達からも、責められて…
誰もくんちゃんの気持ちを『わかるよ』と受け止めてあげない。
くんちゃん、未来や過去の人から生き方や考え方を自ら学んで、とても偉かったね。
どうかみなさん、自分の子どもでも、他人の子どもでも、子どもがいる人もいない人も、子どもが泣いている時、癇癪を起こしている時は、理由があります。
考えてあげてください。
聞いてあげてください。
寄り添ってあげてください。
親であれば、抱きしめてあげてください。
安心させてあげてください。
安心できる場所から、子どもは少しずつ成長していきますから。
映画の最後は、親が直接くんちゃんに愛情表現して欲しかった…
4歳なのに
難しい言葉を知っている
しかも、4才なのに、物凄い難しい言葉を話したり、急に4才らしくなったり、変。そこも気持ち悪い。
女優さんが悪いわけじゃないのに、なんだか配役された女優さんが可哀想な感じ。
お父さん役の星野さんはぴったりだと思った。唯一の救い。
ストーリーがない
ストーリーがない。
ってか、なんでみんな主人公の前に出てきた?
理由は何もない。ちなみに、オチもない。
何を伝えたいのか分からない
何を伝えたいのか わからないまま 終わりました。
ギャーギャー泣いたり わめいたり 途中で 頭が痛くなりました。
あのトトロのメイちゃんの泣いたり 拗ねたりが 愛おしく感じたのとは 全然違う感じ。
久しぶりに映画をみて イライラして 疲れました。子供の成長記録の映画ですか?
なら もっと 色々な子供に ふれて 作れば あんな片寄った子供の表現は しなかったはずなのに。
私は 0歳児から 5歳児までの子供達を預かる お仕事を8年間 やってきましたが 違和感が ありすぎで 何 これと 何度も 思いました。
何を訴えようとしているのか、そもそも訴えようとするものがあるのかすら疑問だった。
つまらない部分をまとめると
・くんちゃんとミライが冒険する話→実際はくんちゃんが、色んな時代に行く話だった。
・ミライちゃんの出番が少ない→最初と最後の方しか出てこない。最後は家族のことを話して、別れる。そこまで重要な人物ではなかった。
・尻尾装着とハチゲームはいらない→人によっては引いてしまう
・くんちゃんが自転車にすぐ乗れた→1週間練習しないで、すぐ乗れた
・くんちゃんの家は階段が多い→子供がいる家なのに、階段が多い
・ミライちゃんは、同時に存在しない→くんちゃんは同時に存在している【4歳と高校生のくんちゃん】
「未来のミライ」
100人観たら95人はつまらないって言うかもしれない、けど残り5人には最高の感動を与えてくれる作品。
なぜ低評価なのか?
娯楽映画として見ている
「娯楽映画」とは何なのか?
「娯楽映画」とは展開や設定が明確に表現・説明されているエンタメ映画のこと。見る人が登場人物に感情移入し主観的になり、ハラハラドキドキ、感動必至の状態になる。
対して、
「文芸映画」とは何なのか?
「文芸映画」とは展開や設定の説明・表現が不十分な芸術映画のこと。見る人が感情移入できず客観的になり、批判的な状態になる。
映画にはこの2種類が存在することを注意して見ないと、がっかりすることがあります。
出典
<a target="_blank" href="https://inukoroblog.com/2018/12/09/mirai_no_mirai/">https://inukoroblog.com/2018/12/09/mirai_no_mirai/</a>
『時をかける少女』を除き、細田守監督が伝えてきたメッセージは一貫して「家族の絆」。
『サマーウォーズ』の設定がおもしろく、娯楽映画寄りだったせいで、「細田守監督は娯楽映画をつくる監督」だと勘違いしてきませんでしたか?
おそらく勘違いしていた方は『おおかみこどもの雨と雪』と『バケモノの子』を見て、拍子抜けしたと思います。
そして今回の『未来のミライ』でいよいよ耐えきれなくなった。
しかし実際のところ、細田守監督は「娯楽映画」の見た目をした「文芸映画」を作る監督なのです。
細田守監督がつまらないと思うのは間違いなのです。
つまり「文芸映画」は何も考えずに上部わけで見ると楽しめない映画なのです!
そして『未来のミライ』は『娯楽映画』ではなく『文芸映画』なのです!
未来のミライを楽しむコツ
娯楽を求めてはいけない
『未来のミライ』とはエンターテインメントの形をした文芸作品なのであり、そこに娯楽をもとめてはいけないのです!!!
以上、これが『未来のミライ』をつまらなく感じる理由でした。
テーマはきょうだい
一口に家族といっても家族はいろんな関係性を含んでいます。
ひとつは親子という関係。それは与えられるものと与えるもの、守る方と守られる方など、親子関係からイメージされるその関係は決して平等なものではありません。
しかし、きょうだいという関係は助け合いもすれど、『争う』関係でもあるんですよ(笑)。
例えば小さい子供同士ならそれこそくんちゃんのように親の愛情の奪い合いだったり、そのきょうだい独特の不平等感めありますよね。
お姉ちゃんばっかり!とか、弟ばっかり!とか。
僕にも姉がいるんですが、学生の頃、『家のお手伝い』として課せられるお手伝いが、姉より超ハードなんですよ。
例えば姉は晩ご飯を作るけれど、僕は昼間ずっと農作業とか。
まぁそんな不平等感はずーーっとありましたね(笑)。
くんちゃんは妹ができた瞬間から両親の愛情をミライちゃんから奪い返そうとします。
それまでのくんちゃんの世界は文字通り『自分が中心』だったわけです。自分というものは絶対的な存在だったわけですね。
しかし、妹ができたことにより、そのアイデンティティが根本から揺さぶられる、くんちゃんは必然的に4歳児なりにではありますが、自分の立ち位置を模索して、見つけておかなくてはなりません。
フランスでは
高評価
アカデミー賞にノミネートされた『未来のミライ』。
実はフランスでの評価も高いです。
カンヌ国際映画祭ではフランス各メディアからこのような評価を得ています。
「家の中からほぼ出ないこの映画の美しさは、身振り手振り、幼い子どもの態度や表現(階段を降りる、自転車に乗る、大人の注意を引こうとする、突然激しく怒り出す)についての繊細な観察ができていることだ」(ルモンド紙)
「アニメそのものを超えて、彼が建築や都市装飾に取り組んだときの『未来のミライ』の描写は驚嘆すべきものである」(ラジオ局フランス・アンフォ)