はじめに…
マコーレー・カルキンについて
世界一有名な子役。1990年、ホームアローンで主役を演じた。
4歳からYMCAのダンス・スクールでバレエを習い、アメリカン・バレエ・スクールに進む。ニューヨークのシティ・バレエ団で『くるみ割り人形』などの舞台に立つ。
1987年に映画デビュー。
1990年に出演した『ホーム・アローン』が世界中で大ヒットとなり、世界一有名な子役(『ギネスブック』認定)となる。
1991年に主演した『マイ・ガール』も大ヒットし、1992年には続編である『ホーム・アローン2』に出演。前作と同様に世界中で大ヒットとなった。
この時にギャラが前作の10万ドルから450万ドルまで跳ね上がり、ドル箱子役として持てはやされた。その後もギャラは高騰し続け、1993年に出演した『ゲッティング・イーブン』と1994年に出演した『リッチー・リッチ』では子役としては破格の800万ドルのギャラが支払われた。
出典:Wikipedia
子役時代
ホームアローンで
大ブレイク!
当時、映画『ホーム・アローン』制作するにあたり、主人公ケヴィン役の選考は難航していました。そこで自身の監督作『おじさんに気をつけろ!』で彼と仕事をした脚本家のジョン・ヒューズが、ケヴィン役にマコーレー・カルキンをキャスティングしてはどうかと監督のクリス・コロンバスに提案します。
監督は最初その提案に懐疑的だったものの、カルキンの台本読みをきいて「他のどんな子役も、この子ほど主人公のケヴィンに近い子はいないだろう!」と確信し、彼の採用を決めたそうです。
遊び心が溢れていて子供にも大人にもうけるハラハラドキドキの展開と、カルキンの子どもらしいかわいらしさがうまくリンクし、この映画はファミリー層を中心に大ヒット。製作費の20倍を超える興行収入を生み出しました。
出典:シアター
マイ・ガールにも出演!
マイガールでも天才子役ぶりを発揮した。
1991年に公開された『マイ・ガール』で、マコーレー・カルキンは、主人公の少女ベータの幼なじみトーマスを演じました。
幼い少女と少年の友情と淡い恋を描いた本作でも、彼の演技は絶賛され、主演のアンナ・クラムスキーとともにMTVムービー・アワードでベスト・キス賞を受賞しました。
出典:シアター
ホームアローン2で人気上昇!
家族と旅行に行くが、飛行機を乗り間違えた。そしてニューヨークに降り立ち、泥棒コンビを発見。
泥棒2人は、おもちゃ屋強盗計画を企てていた。それを知ったケヴィンは、泥棒を倒そうとする。
本作は、世界で興行収入約3億6000万ドルを記録。前作と同じく大ヒットとなり、彼の人気と実力を証明します。
ちなみに前作で10万ドル(約1000万円)だったという出演料は、本作では450万ドル(約4億5000万円)にまで跳ね上がりました。
出典:シアター
両親のトラブル
しかし、マコーレーのマネジャーを務めていた父親の非常識な要求などで1994年後半にはオファーが減少。さらに1995年に両親が別れ(元々結婚していなかったので離婚ではない)、マコーレーが稼いだ1,700万ドル(当時のレートで約17億円)を巡って裁判を起こした。
裁判は泥沼化し、1996年にマコーレーは「父と母が裁判に決着をつけるまで自分はどの作品にも出演しない」と俳優活動の休業を発表した。
1997年2月、裁判所が「マコーレーの稼いだお金は家族ではなくマコーレーの会計士が管理するように」と命じ、同年の4月にマネジャーを務めていた父親がすべてを放棄する形で裁判は終了した。
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両親と絶縁
後にマコーレーの1,100万ポンド(約13億円)の資産をめぐって両親が裁判を起こし、現在も父親の キットとは絶縁状態になっている。
▼15歳で
映画界を引退
両親の争いに疲れた果てたカルキンは、15歳で引退した。タイタニックのオファーがあったが、それも蹴ってしまう。
1996年、両親の醜い争いに疲れ果てたマコーレー・カルキンは15歳で映画の世界から引退。
女優と結婚するが
すぐ離婚
そこで同い年の女優のレイチェル・マイナーと出会い交際に発展。学校を中退して1998年4月に17歳という若さでレイチェルとの婚約を発表し、2カ月後に結婚したが、2000年に離婚した。
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薬物所持で捕まる
2004年友人の運転する車に乗っていたカルキンは、スピード違反で警察官に車を止められた際、マリファナ17.3グラムと、処方箋なしで入手したとみられる規制薬物を所持しており、オクラホマの刑務所に拘留。1時間後、保釈金4000ドル(約44万円)で保釈された。
麻薬で
激ヤセする
2012年にはマコーレーさんの激やせ報道があり、
ドラッグによって余命半年だと報じられて世間を騒がせました。
この時は体重が47㎏だったといいます。
自殺未遂を起こす
2012年にはマコーレ・カルキンが自殺未遂したと米メディアに報じられた。「死にたい」と口走りながらヘロインを打ち、強い鎮痛剤も服用し、あわや過剰摂取で死ぬところだったと伝えている。
バンド活動を始める
2012年2月に、ピザ・アンダーグラウンドというヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リードのカヴァーバンドが結成され、2013年12月にデモ音源が公開された。ピザ・アンダーグラウンドは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとルー・リードの楽曲をカヴァーする際には、歌詞には必ず「ピザ」について歌うというコンセプトのバンドである。
ピザ・アンダーグラウンドは2016年に解散。
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2016年
俳優に復帰
2016年頃より俳優活動を再開。『Changeland』(2019年公開予定)の撮影に参加していることが2018年に報じられた。
2018年のクリスマスにはGoogleアシスタントのコマーシャル・フィルムに出演し、『ホーム・アローン』のケビンを26年ぶりに再演し大きな話題となった[
出典:Wikipedia