坂本龍馬はフリーメイソンだった
フリーメイソンは16世紀に誕生した秘密結社。世界各地に存在し、歴史を裏で動かしている。
坂本龍馬は幕府を倒すため、グラバーから武器を入手した。グラバーは坂本龍馬をフリーメイソンの一員にする。
幕末に活躍した坂本龍馬がフリーメイソンだった…..フリーメイソンに利用されていた…..という都市伝説は沢山あります。
坂本龍馬とフリーメイソンの接点、それこそがグラバーである。彼はフリーメイソンであったという噂があり、世界的な革命の流れを日本にももたらすべく暗躍していた可能性がある。
そして、その同士として坂本龍馬をフリーメイソンに誘ったというのだ。
出典:坂本龍馬の暗殺はフリーメイソンの陰謀だった!? 武器商人トーマス・グラバーの手引きとは? (2019年1月6日) - エキサイトニュース
グラバー邸にフリーメイソンのマークが
坂本龍馬が生きていた当時にはなかったそうで、後に寄贈されたものらしいですが、グラバー邸にはフリーメイソンのマークが刻まれた石柱があります。
龍馬が暗殺された理由
フリーメイソンの秘密を知ったから
一説には、このグラバーがフリーメイソンの秘密を知った坂本龍馬を、倒幕後に暗殺した可能性もあるともいわれているのだ。
出典:坂本龍馬の暗殺はフリーメイソンの陰謀だった!? 武器商人トーマス・グラバーの手引きとは? (2019年1月6日) - エキサイトニュース
聖徳太子が残した予言
「私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかってない壮麗な都になり、戦乱を十回浴びてもそれを越えて栄え、一千年の間、遷都はないだろう。 だが一千年の時が満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される」
「それから二百年を過ぎた頃、こんどはクハンダが来るため、その東の都は親と七人の子のように分れるだろう」
予言はすべて的中
これは太子が25歳の頃、宇治(現在の京都府)を旅した際に予言したものである。そこには、桓武天皇によって794年に平安京がつくられ、以降、1000年に渡り都として栄えることや、黒船の来航、東京への遷都などが見事に予言されている。
クハンダの正体
クハンダの正体は、地球汚染、天変地異、疫病、核戦争、原発事故、富士山の噴火など、さまざまなものが考えられる。
明智光秀と天海上人は
同一人物
「敵は本能寺にあり」。
その言葉を発し、かの織田信長を討ち果たした明智光秀。
陰陽道や風水に造詣が深く、徳川家康の側近として江戸の発展に関与した南光坊天海。
この二人が、実は同一人物であるという説が存在しているということをご存じでしょうか?
明智光秀は教科書では信長死すの報せを聞いた豊臣秀吉に追い詰められ、山崎で土民に討たれたということになっています。
1582年の出来事でした。
しかし実は光秀は生きていて、天海という名で徳川家康に仕え、江戸時代の動乱に深く関わった・・・。
なぜそんな疑惑が持ち上がっているのかというと、それにはいくつかの理由があります。
光秀という僧は存在する
比叡山には数多くの武将が寄進したとされる石碑が残っているのですが、そこには「光秀」と名が書かれた石灯篭もあります。
比叡山松禅寺にあるその石灯篭の日付は慶長20年(1615年)2月17日。
山崎の戦いで光秀が亡くなったとされるのは天正10年(1582年)。
にも関わらず光秀の名が残っているのはとても不思議です。
僧侶の名簿には俗名・光秀という僧侶がいたということもはっきりわかっています。
最も、これが「明智光秀」その人であるかという確証は全くとれていませんが、かつて『世界ふしぎ発見!』の2000年8月6日放送分で、光秀と天海が書いたとされる書状の筆跡鑑定が行われました。
その際にいくつか似通った字があり、専門家曰く「一緒に生活しているような人でないとこのように似た字を書くことはできない。おそらく2人は近親者である可能性が高い」との結論が出されました
東照宮に明智の家紋
ご存知の通り、徳川家の家紋は葵。
しかしそこにわざわざ明智家の家紋である桔梗紋を象ることに違和感を感じるというのです。
大阪の陣で光秀の孫が助命される
明智光秀の孫の織田昌澄は大坂の陣で豊臣方として参戦したが、戦後に助命されていること。
出典:Wikipedia
本能寺の変の黒幕は
秀吉だった
羽柴秀吉ではないかと思います。
「本能寺の変」の直後に中国大返しといって素早く帰ってきたといいますが、
10日で200㎞もの距離をそう簡単に移動できるでしょうか?
推測ですが、主君・信長の後継者になるつもりで邪魔な光秀をうまくそそのかし、信長を討たせた。その後で山崎の戦いにて光秀を消した。世間的には「信長を殺した光秀を征伐した」と大義名分が立ちますね。
徳川家康は
肉人と遭遇した
1609年(慶長14年)、駿府城の中庭に、肉塊のような者が現れた。形は小児のようで、手はあるが指はなく、肉人とでもいうべきものだった。
警戒の厳しい城内に入り込む者は妖怪の類であろうと思われたが、捕まえようにもすばやく動いて捕まえられない。
当時の駿府城に住んでいた徳川家康が、その者を外へ追い出すよう命じたため、家来たちは捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出した。
出典:Wikipedia
家康が遭遇した妖怪は
ぬっぺふほふ
“ぬつへつほふ(ぬっぺっぽう)”は見たとおり、眼も鼻も口もない。まさに肉の塊のような妖怪。
間伝承として「大晦日の夜に町を彷徨い、腐敗した肉臭を漂わせる」とも云い伝わっています。
徳川家康がいた駿府城でもで出た、なんて話も。
この時に「俊足で捕まらなかった」と書かれており…
出典:うちの事務所、マジで出るんです!!!猛ダッシュしてくる肉塊妖怪ぬっぺふほふとの遭遇。 | 縁切りと縁結びのスピリチュアルユニット・凜花~Reincarnation~