はじめに…
青い彼岸花とは
「青い彼岸花」は鬼が太陽の光を克服するために必要な薬の材料です。
この薬は病気で20歳までしか生きられない無残をなんとか助けようと当時の医者が作成した薬でその調合に青い彼岸花が必要とされています。
鬼舞辻無残は1000年以上をかけて鬼を増やしながら青い彼岸花を探しています。
鬼化した炭治郎は
太陽を克服!
鬼・炭治郎は陽光を嫌って日陰に入ろうとするも、義勇に邪魔をされました!
義勇も鬼化した炭治郎を太陽の下にさらして消滅させるつもりでしたが、なんと陽光灼けがピタッと止まったのです!
義勇もこれには驚きます!
鬼化した炭治郎は太陽を克服してしまう。つまりもう日輪刀が効かないのだ、彼を殺す手段を今の鬼殺隊は持っていない。「もうみんな戦えないよボロボロで こんなのあんまりだ 禰豆子ちゃんどうするんだよ炭治郎」善逸が読者の心境代弁してくれてるのが救いだよ…。
禰豆子も太陽を克服
実は禰豆子の名前には花という意味を持つ漢字が含まれているのです。
さらに禰豆子は鬼でありながら太陽を克服した存在つまり矛盾した存在です。
太陽を克服するのに太陽を克服した鬼が必要というのも矛盾していて禰豆子自身が青い彼岸花という可能性があるのではないでしょうか。
出典:エンタマニア
青い彼岸花の正体は
竈門一族だった
これを見ると竈門家の人間こそ「青い彼岸花」なのではないでしょうか?
鬼化した炭治郎が復活したばかりの時には陽光によって顔が灼けていましたが、しばらくすると止まったことから無惨の血と炭治郎の肉体が完全に適合したことを表しているのでしょう!
こんな説も出ている
青い彼岸花は
伊黒だった
伊黒の出生地は、八丈島という東京の離島です。八丈島には八丈富士という山があり、そこに「天空の道」という空に繋がったように神秘的な場所があります。
鬼滅の刃では、赤い彼岸花が天国や三途の川のような場所で描かれており、作者が彼岸花を意図的に「天空の花」として描いていることが伺えます。
「天空の道」で生まれた伊黒と「天空の花」という意味を持つ彼岸花。両者に何か関係があるのではにかと考えられますね。
青い彼岸花を食べた
伊黒小芭内もし青い彼岸花食べてて体内に持ってるってことはないよな
だって伊黒の体格だと球根食えば死ぬしそもそも消化されるじゃん
伊黒そのものが青い彼岸花だと思うな
彼岸花には
「蛇花」という呼び方がある
彼岸花には1000以上の別名がありますが、その中に「蛇花」という呼び方があります。鬼滅の刃で蛇を想起させるのは、間違いなく伊黒でしょう。
また、彼岸花の開花時期と伊黒の誕生日も重ねっており、両者に関連性を感じます。
小芭内→小さな花をうちに秘めた存在
伊黒の下の名前「小芭内」は、名詞として存在せず造語であることが判明しており、何かしらの意味を持ってつけられた可能性が高いです。
そこで「小芭内」を分解すると、芭には「花」という意味があることが分かりました。
意味が通るように名前を意訳すると、小芭内=「小さな花をうちに秘めた存在」となります。彼岸花の存在を意識してしまいますよね。
伊黒の誕生日は
彼岸花の開花時期
彼岸花は開花は9月中~下旬に開花すると言われています。
そして公式ファンブックにより伊黒の誕生日は9月15日です。
彼岸花の開花時期と一致していますね。
これも作者さんが意図して設定したのではないでしょうか。
伊黒の名前に青い彼岸花
小芭内をローマ字表記にすると「iguro obanai」となります。
スペルを並び替えると「aoi higannbana」が含まれています。
ruは余り、aを何度も使うことになるので完全なアナグラムではありませんが、伊黒の名前には青い彼岸花が含まれています。
このように伊黒と彼岸花は関係が深そうな設定が出てきます。
青い彼岸花は
中国に存在する
無惨が1000年をかけて日本中探しても見つからなかった青い彼岸花。無惨医者から薬として処方してもらっていましたが、そもそも彼岸花は平安時代の日本に存在しません。
一方中国では、彼岸花は漢方薬として古くから使用されてきました。また彼岸花は「株分け」という方法でしか繁殖できず、繁殖するには人為的に日本に持ち込むしかありません。
そのため、青い彼岸花は平安時代中国にのみ存在していた事から、無惨が1000年かけても見つけられなかったと考えられています。
善良な医師は
中国出身だった
では、なぜ平安時代に青い彼岸花が無惨の元に届いたのでしょうか。それは善良な医者が、中国出身であり中国から日本に持ち込んだからだと考えられています。
そもそも平安時代の日本の病気は怨霊によるものと考えられており、治療には薬を使うのではなく祈祷が一般的でした。
青い彼岸花という薬を処方するのが、そもそも中国的な医療法であることが分かります。
善良な医者は中国出身であり、中国から薬として青い彼岸花を持ち込んではないかと考えられています。
青い彼岸花は
竈門一族が管理している
那谷蜘蛛山での累との戦いで、死を間際にした炭治郎は走馬灯を見ます。炭治郎の幼少期の記憶が呼び起こされ、その走馬灯の中に青い彼岸花らしきものが含まれていました。
炭治郎は東京府の山奥出身であり、幼少期はほとんど山の中で過ごしていた可能性が高いです。そのため、竈門家が青い彼岸花を管理しているのではないかと考えられています。