▼2022年6月12日 トヨタがルマン5連覇 8、7号車がワンツー
伝統の自動車耐久レース、第90回ルマン24時間は12日、フランス・ルマンのサルテ・サーキット(1周約13.6キロ)でゴールを迎え、GR010ハイブリッド2台で臨んだ最高峰ハイパーカークラスのトヨタ勢は平川亮、ブレンドン・ハートレー(ニュージーランド)、セバスチャン・ブエミ(スイス)の8号車が380周を走破して総合優勝を果たした。
▼世界三大レースの一つといわれるル・マン24時間レース
ル・マン 24時間レース(ル・マンにじゅうよじかんレース、仏: 24 Heures du Mans )は、フランスのル・マン近郊で行われる四輪耐久レースである。24時間でのサーキット周回数を競う。主催はフランス西部自動車クラブ(ACO)で世界耐久選手権 (WEC) の1戦でもある。ル・マン24時間耐久レースと記されることもある。
F1のモナコグランプリ、インディ500に続き、2022年の世界三大レースのトリを飾ったル・マン24時間レース。
出典:【ル・マン24時間】8号車GR010 HYBRIDがポール・トゥ・ウィン! トヨタが5連覇&1-2フィニッシュで、平川が日本人5人目のル・マンウィナーに | トヨタ自動車のクルマ情報サイト‐GAZOO
1980年代以降はマツダや日産自動車、トヨタ自動車、本田技研工業などがワークス・準ワークスチームで参戦したが、総合優勝したのは1991年のマツダで、しかしマツダは1992年に撤退した。
2012年よりトヨタが再挑戦し、2018年ついにTOYOTA GAZOO Racingの中嶋一貴が日本チーム、日本車というオールジャパンチームで総合優勝を飾った。2019年にもトヨタが2連勝し、2020年にはLMP1規定最後となる年に3連覇を果たした。2021年にはLMH規定初年度となる年でトヨタは4連覇を果たすと共に、小林可夢偉が悲願の初優勝を飾った。なお(海外メーカー車を使用する)日本チームや日本人ドライバーも優勝している。
▼全盛期にはトヨタ、日産、マツダ、ホンダがワークス体制で参戦
1980年代以降はマツダや日産自動車、トヨタ自動車、本田技研工業などがワークス・準ワークスチームで参戦したが、総合優勝したのは1991年のマツダで、しかしマツダは1992年に撤退した。
2012年よりトヨタが再挑戦し、2018年ついにTOYOTA GAZOO Racingの中嶋一貴が日本チーム、日本車というオールジャパンチームで総合優勝を飾った。2019年にもトヨタが2連勝し、2020年にはLMP1規定最後となる年に3連覇を果たした。2021年にはLMH規定初年度となる年でトヨタは4連覇を果たすと共に、小林可夢偉が悲願の初優勝を飾った。なお(海外メーカー車を使用する)日本チームや日本人ドライバーも優勝している。
▼全盛期にはテレビ朝日が9時間にも及ぶ長時間中継をしていた
日本では、株式会社マクランサ代表の林正史(株式会社童夢代表の林みのるの実弟)の企画により、1979年にTBSによる2時間番組「ルマン栄光への24時間」が全国放送された。同じく、林正史の企画・プロデュースにより1982年から1986年までテレビ朝日がダイジェスト版を放送し、 1987年から2003年まで中継を行っていた。
毎年原則として、スタート直前の日本時間土曜22時59分(現地時間15時59分)フォーメーションラップがメゾンブランツェに到達する頃放送開始、放送開始直後に出場する全マシンのスターティンググリッドがテロップで紹介され、スタートから2周ほどした後オープニングと提供クレジット、そこから1時間程中継し(ここまでがパート1とされた)日曜午前0時過ぎ頃にニュース等による中断を挟み、その後午前2時過ぎまでパート2を中継し、ニュース等での中断を挟んでパート3を午前5時まで(年によっては4時までの場合もあった)放送。その後日曜午後にパート4を1時間半程放送(2003年は放送されず)。ここまでが生中継。ゴールとなるパート5はディレイ録画で日本時間日曜23時に放送開始し1時間半程中継、合計約9時間にも及ぶ長時間中継であった。
『’87日産‼︎ 2度目のル・マン』
出典元:YouTube
『'88日産‼︎ 3度目のル・マン』
出典元:YouTube
『'89日産‼︎4度目のル・マン』
出典元:YouTube
『’90日産‼︎ 5度目のル・マン』
出典元:YouTube
▼2000年にはテレビ朝日がレーシングチームを結成しルマンに挑戦
2000年にはテレビ朝日がチーム郷と共同で、"テレビ朝日・チーム龍(Dragon)"としてパノスLMP-1を2台エントリーさせている。当初はLM-GT2クラスにクライスラー・ヴァイパーを2台投入した"チーム虎(Tiger)"として、二つのクラスで出場を計画していたが、諸事情でLMP-1クラスのみのエントリーとなっている。予定していたドライバーには高橋国光、近藤真彦、関谷正徳らが予定され、ル・マン経験者を中心に布陣を固めた「ドリームチーム」として期待されていた。この時ドライバーとピットとの会話を中継するなど新しい試みが行われたが、レースに出場するエントラントでもあったため他チームのピットを取材しようとして拒否されるなどのトラブルもあった。
▼1995年には関谷正徳が日本人ドライバーとして初の総合優勝
1995年には、1985年より参戦を続けてきた関谷正徳が、日本人ドライバーとして初の総合優勝 (マクラーレン F1 GTR /チーム・国際開発UK、ドライバーは関谷正徳、J.J.レート、ヤニック・ダルマス)を果たした。
24時間で4,055kmを平均速度168.992km/hで走って総合優勝し、日本人初の総合優勝を果たした。
▼芸能人もルマンに参戦 近藤真彦は1994年に初参戦
1994年には世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースにポルシェ・962Cで初参戦を果たした。
1995年
No.22 NISMO GT-R LM 福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦 10位
No.23 NISMO GT-R LM 星野一義/鈴木利男/影山正彦 DNF
1996年
No.22 NISMO GT-R LM 影山正彦/鈴木亜久里/近藤真彦 DNF
No.23 NISMO GT-R LM 星野一義/鈴木利男/長谷見昌弘 15位
※その後、2000年~2003年にもルマンに参戦
▼2004年には荒聖治が日本人として2人目の総合優勝 しかし皮肉にもテレビ朝日の地上波放送は前年で終了していた
2004年にはチーム郷のアウディ・R8が日本のプライベーターとしては初めての総合優勝を果たした。同チームのドライバーの1人の荒聖治は、日本人として2人目の総合優勝。リナルド・カペッロ、トム・クリステンセンとドライブ。