◆諜報員(スパイ)と言えば、フィクションの世界で活躍するイメージ
スパイって?
スパイ(英語: SPY)とは、敵対勢力などの情報を得るため、諜報活動などをする者の総称。間諜(かんちょう)、工作員(こうさくいん)とも呼ぶ。
政治・経済・軍事・科学技術などの情報を、いち早く入手して味方に知らせつつ、敵の活動を阻害・撹乱することが主な任務とされる。
小説、映画の影響によって派手な活動が連想されがちであるが、古典的表現である「外套と短剣」に表されるように、実際のスパイは地味な活動をしていることが多い。
現実世界のスパイは、映画の中のように派手な活躍を見せたりしない。いつも目立たず、日常の中に溶け込んでいる……彼女のように。
◆諜報員として現実の世界で活動していた女性が話題となっている。
イギリスで99歳で亡くなったおばあちゃん
ロンドン南西部の小さな町に住んでいたこの女性が内気な性格だったという。晩年には認知症も患っていた。
この女性は死ぬまでその正体を明かすことはなかった。
彼女の葬儀に参加した人はわずか3名だった。
2014年にイギリスで亡くなった99歳の女性。その自宅から、第二次世界大戦時に使われた自動小銃や、軍部からの手紙などが見つかった。
彼女の自宅から見つかった自動小銃
軍部とやりとりをしていた手紙も見つかった。
ドイツのハンブルグが爆破された写真も見つかったという。
女性のいとこは、警察に資料を提出し、調査を依頼。その結果、彼女が戦時中から戦後にかけ、イギリスの諜報組織に所属していたことが判明。
このあばあちゃんのいとこが調査を依頼して判明するに至った。
この女性は第二次世界大戦時にイギリスで捕虜などの尋問を行う諜報機関に所属していた。
出典:Secret life of Eileen Burgoyne: Shy suburban lady who was actually a Cold War spy - Mirror Online
この女性はフランス語とスペイン語ができたので、尋問中の通訳や記録を担当したのではないかと考えられている。
このニュースを伝えるイギリスのミラー誌
デイリー・ミラー(The Daily Mirror)はイギリスの主要な日刊タブロイド紙。
<a target="_blank" href="http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/secret-life-eileen-burgoyne-shy-5855198">http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/secret-life-eileen-burgoyne-shy-5855198</a>
さらに、戦後も2回の勤務記録があり、諜報機関とも手紙のやり取りをしていた。
出典:99歳で亡くなったお婆ちゃん…その正体は諜報員!? - YouTube
それ以上の内容は記録がすでに消去されていて不明とのこと。
99歳で亡くなったお婆ちゃん…その正体は諜報員!?
出典元:YouTube
隣人の間ではこのおばあちゃんの過去について噂にはなっていたそうです。
◆スパイとされる人物は実は日本にも存在していた。
【石田博英】
石田博英
石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。あだ名は「バクエイ」(博英の音読み)。
衆議院議員(14期)、労働大臣(第14・17・18・22・23・39代)、運輸大臣(第47代)、内閣官房長官(第16・17代)、衆議院議院運営委員長(第6代)、二日会会長等を歴任した。
元外交官の三宅和助は娘婿に、元衆議院議員の三宅雪子は孫娘にあたる。
元ソ連国家保安委員会(KGB)職員で1992年にイギリスに亡命したワシリー・ミトロヒンが持ち出した資料「ミトロヒン文書」、および同じく元KGBでアメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコの証言では、「フーバー」というコードネームを持つKGBのエージェントであったとされている。
【辰巳栄一】
辰巳栄一
辰巳 栄一(たつみ えいいち、1895年(明治28年)1月19日 - 1988年(昭和63年)2月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
戦後の連合軍占領中は旧軍の反共主義工作機関「河辺機関」を率いた。また警察予備隊の幹部人選に駐英武官当時からの上司であった吉田茂の腹心として関与(吉田内閣で軍事顧問)、同期の木村松治郎、宮野正会ら旧陸軍の将官クラスをまとめてその基礎を作った。
中央情報局(CIA)の協力者「POLESTAR-5」(他にも「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」等と呼ばれた)として内閣調査室(現在の内閣情報調査室)や後の自衛隊の設置に関わる資料をアメリカ政府に流していた事が2009年10月、有馬哲夫・早稲田大学教授のアメリカ国立公文書記録管理局における機密解除資料調査で確認された。
【正力松太郎】
正力松太郎
正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の内務官僚、実業家、政治家。元読売新聞社社主。位階勲等は従二位勲一等。富山県高岡市名誉市民。京成電鉄OB。読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父とも呼ばれる。
日本へのテレビ(正力マイクロ波事件)と原子力発電の導入で、アメリカ政府と利害が一致していたので協力し合い、その結果、「ポダム」というコードネームを与えられ、CIAの協力者となった。
早稲田大学教授の有馬哲夫が、週刊新潮2006年2月16日号で、正力が戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後に中央情報局(CIA)の非公然の工作に協力していたことをアメリカ国立公文書記録管理局によって公開された外交文書(メリーランド州の同局新館に保管されている)を基に明らかにし、反響を呼んだ。
日本へのテレビ放送の導入と原子力発電の導入について、正力はCIAと利害が一致していたので協力し合うことになった、その結果、正力の個人コードネームとして「podam」(英:我、通報す)及び「pojacpot-1」が与えられ、組織としての読売新聞社、そして日本テレビ放送網を示すコードネームは「podalton」と付けられ、この二者を通じて日本政界に介入する計画が「Operation Podalton」と呼ばれた。
これらの件に関する大量のファイルがアメリカ国立第二公文書館に残ることになった。正力と共に日本のテレビ放送導入に関わった柴田秀利は「pohalt」というコードネームを与えられた。CIAに正力松太郎を推薦したのは、上院議員カール・ムントであるとベンジャミン・フルフォードは主張している。
【岸信介】
岸信介
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。
正力松太郎などとともに米国中央情報局(CIA)から資金提供を受けていたとされる。2007年に米国務省が日本を反共の砦とするべく岸信介内閣、池田勇人内閣および旧社会党右派を通じ、秘密資金を提供し秘密工作を行い日本政界に対し内政干渉していたことを公式に認めている。
【川島芳子】
川島芳子
川島 芳子(かわしま よしこ、1907年5月24日 - 1948年3月25日)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。
本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、字は東珍、漢名は金璧輝、俳名は和子。他に芳麿、良輔と名乗っていた時期もある。
清朝の王室生まれでありながら、日本軍のスパイとして活動していた実在の人物。
8歳のとき、粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり日本で教育を受けた。1927年に旅順のヤマトホテルで、関東軍参謀長の斎藤恒の媒酌で蒙古族のカンジュルジャップと結婚式をあげた。
カンジュルジャップは、川島浪速の満蒙独立運動と連携して挙兵し、1916年に中華民国軍との戦いで戦死したバボージャブ将軍の次男にあたり、早稲田大学を中退後1925年「韓紹約」名で陸軍士官学校に入学していた。
彼らの結婚生活は長くは続かず、3年ほどで離婚した。 その後、芳子は上海へ渡り同地の駐在武官だった田中隆吉と交際して日本軍の工作員として諜報活動に従事し、第一次上海事変を勃発させたといわれている。
上海では社交界の華として活躍した芳子の裏の顔は関東軍の女スパイ。小説「男装の麗人」のモデルとなり、満州の広告塔として日本でもアイドル的存在になるも、戦後、「売国奴」とののしられ、中国で銃殺される。
【馬継生】
馬継生
馬氏は、1991~95年と2004~08年の2回、在日中国大使館で勤務。08年から外務省の副報道局長をした後、12年からアイスランド大使を務めていた。
26年間の外交官生活のうち20年余をアジア関係の部門で勤務。8年間にわたって在日本大使館で勤務した日本通の外交官として知られる。
馬継生駐アイスランド大使(57歳)と夫人が日本に国家機密を漏洩した疑いで今年初めに中国の治安機関に逮捕された。
馬大使は今年1月、帰国を命じられ、2004~08年に在日大使館の幹部だった時期に「日本のスパイ」になっていたとして逮捕された。
馬氏は、在日本大使館で公使参事官を務めたこともある日本通。
出典:http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20140917-1368142.html
容疑の詳細は不明だが、「日本のスパイ」として国家安全省に逮捕されたとしている。アイスランド大使は今年2月から空席となっており、大使館のホームページからは馬氏の名前や経歴が削除されている。
出典:http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20140917-1368142.html
中国では昨年以降、日本を拠点に活動する中国人研究者らが帰国後に消息を絶つケースが相次いでいる。