◆14日午後9時26分頃、熊本県で震度7を観測する地震が発生
現在も余震が続いている
気象庁によると、15日午前3時までに発生した余震は計75回。うち午前0時3分に宇城市で発生した震源の深さ約10キロ、推定マグニチュード(M)6・4の最大余震は、同市内の地震計で長周期地震動が4段階中最大の階級4を観測。
熊本県で最大震度7を観測した地震で、警察庁は15日、同県益城町内を中心に午前6時現在で、9人の死亡を確認したと発表。また、熊本県内では負傷者が多数出ている。
◆地震発生直後から、名城『熊本城』の石垣が崩れるツイート画像が拡散された。
熊本県益城町で最大震度7を観測した地震では、観光名所となっている熊本城(熊本市)も天守閣の屋根瓦が落ち、石垣が崩れるなどの被害を受けた。
百間石垣が崩れてます https://t.co/ekHIsF9qVO
築かれて400年以上たっている「百間石垣」と呼ばれる石垣は、高さ10メートル、幅20メートルほどにわたって崩壊
熊本城の石垣が崩れたことを受けて、ツイッターなどのネット上でも悲鳴が次々に上がった。
出典:【熊本震度7】熊本城の石垣崩壊「熊本城死んだ…」「文化財のことも気になる」ツイッターにも悲鳴続々 - 産経ニュース
頼む……熊本城だけは頼む……熊本城だけは………熊本城になんかあったら県民はもう立ち直れねぇよ……熊本城は……日本全国どこの城に行っても熊本県民は内心(やっぱ熊本城が一番立派たな……)ってほくそえんでるんだ……熊本城だけは………熊本県民から………
難攻不落と呼ばれた城も地震には弱い…儂ショック過ぎて立ち直れない https://t.co/C1Rgeoz1SG
◆一夜明けて、熊本城の被害状況の詳細も明らかとなった。
熊本のシンボルで「日本三名城」と称される熊本城(熊本市中央区)は、激しい地震から一夜明けた15日朝、無残な姿をさらした。
ヘリコプターで上空から見ると、天守閣の屋根瓦は最上部から四方に向かって崩れ落ち、木の骨組みがむき出しになっていた。
国の重要文化財の熊本城は、東側にある天守閣の石垣が大きく崩れています。天守閣の屋根瓦もかなりの数がはげ落ちてしまっています。 #jishin t.co/3as3M89K78
国の重要文化財の熊本城は、東側にある天守閣の石垣が大きく崩れています。天守閣の屋根瓦もかなりの数がはげ落ちてしまっています。 #jishin
— NHK生活・防災 (@nhk_seikatsu) 2016年4月14日
同事務所や文部科学省によると、他に重要文化財のやぐらのしっくいが剥がれた。天守閣の台座を囲む石垣や、お堀の石垣も至る所で崩れ落ちた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160415-00010009-nishinp-soci
国の重要文化財である長塀が約100メートルに渡って倒壊、天守閣近くの「平櫓」の漆喰壁も崩壊した。
出典:http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1604150046.html
15日も多くの観光客が訪れたが、危険なため閉園が決まった。
熊本城おもてなし武将隊【公式】@kumajyobushotai
【熊本城おもてなし武将隊から皆様へ】
大規模地震発生に伴い熊本城は閉門しています。
大変危険なので熊本城域には足を踏み入れないようにして下さい。
依然として強い余震が続いておりますので引き続き御注意ください。
熊本城おもてなし武将隊の今後の活動については改めてお知らせします。
馳浩文科相は同日午前の会見で「早急に調査し復旧に向け、どのように対応すべきか考えたい」と話した。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160415-00010009-nishinp-soci
◆16日に発生した本震の影響でさらに被害が…
熊本城激ヤバ
だがしかし最終的にこう残る構造で建てた昔の人偉すぎ https://t.co/Et9MwuAs9s
◆半壊した熊本城に称賛の声も…なんと400年前に建造された部分は無事だった。
あきよ@埼水連&マスターズ協会競技役員@akiyokoyanagi
どうも熊本城の崩れた部分は新しく積んだ石垣や建築した天守の屋根が大部分のようで、それこそ400年風雪にもなんなら西南戦争の砲撃にも耐え抜いた宇土櫓は無事らしい。すごいな加藤清正、というか、400年前の大工さんとか石工職人さん、そして当時の築城技術。
僕は熊本県甲佐町出身です。熊本の皆さんが心配でなりません...小さい頃よく行ってた熊本城があんなことに...。でも調べたら加藤清正公が建てた部分はビクともしなかったと。西郷隆盛も西南戦争で「政府に負けたのではない、清正公に負けた」と言ったそうです。今も清正公が守る熊本は負けない!
◆天守閣の瓦についてこんな考察も
熊本城の瓦が崩れているが、
日本建築の本来の発想としては『地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐ』のが正しいと元建築事務所勤務の父が言っておりました。
現代では固定してしまうが。
地震発生時の煙・埃はこれですね。
#nhk https://t.co/XBmsQeMprd
熊本城の天守閣の瓦が崩れていたね。
あれ、実は倒壊しないようにわざと簡単に落ちるようにしてあるのよ。所謂昔の人の知恵ってやつで、地震が起きた時は速攻で瓦を落とすことで屋根を軽くする意図がある。
瓦屋根が倒壊し易くなったのは建築法が改正されて、「瓦は落ちないように」となってから。
熊本城の瓦が落ちたり石垣が崩れたことが話題になっているけれど、そういう建築は地震が起きたときに瓦を落とすことで本体が潰れないような構造になっているらしい。
石垣も文化庁かどこかが全ての石に番号を振っていて、復元はできるらしい。
そういう知恵って素晴らしいと思う。
◆名将・加藤清正が建造したこの熊本城とはどんな城なのか
日本三名城の一つである熊本の象徴、熊本城。
熊本城(くまもとじょう)は、現在の熊本県熊本市中央区に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」。
築城の名手といわれた加藤清正が手掛けた城。
加藤清正
1562年~1611年
加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ). 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人である。各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。
諸氏、城主を替えた後、加藤清正が天正16年(1588)に入り、優れた土木・築城技術を発揮してほぼ現在の形を完成させた。
加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。
城郭周囲は5.3kmにおよび、面積は98万㎡。象徴の連立式大天守閣、小天守閣ほか、多数の櫓、櫓門、城門を備えた堂々たる城。
熊本城を語る際に欠かせないのが石垣である。“清正流石組”といわれる大胆かつ精巧な造りで、壮大な城郭を今に伝える生き証人。
幾重にも連なる石垣群は美しく、まさしく難攻不落の城にふさわしい。勾配がゆるやかな石垣は加藤家時代のもの。一方、勾配が急な石垣は細川家時代に造られた。
明治の西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建。
1880年当時の熊本城
城跡は国の特別史跡で年間約150万人が訪れる。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160415-00010009-nishinp-soci
◆Twitterでは名城・熊本城に対して励ましツイートが相次いでいる。
ゆずゆず マッタリを所望する@dd970e5d4871495
熊本への旅行を予定している皆さん、
暫くは揺れますが酷いものではありません。ぜひ熊本に来てください。
熊本城を見て、できれば一口城主にもなってください。
今熊本城に来て一口城主になれば、
「この石垣は俺の金で修理した」と威張れます。一生涯の記念になります。
【再ツイート】熊本城の損壊に心を痛めている方にはこちらがお勧め。熊本城復旧費用に充てる「一口城主」制度で、一万円の振り込みで名前が天守閣に掲示されます。振り込み用紙を郵送してもらい、最寄りの金融機関か郵便局で振り込み可能。
t.co/fCYnWWf19u
「わしは官軍ではなく、清正公に負けたのだ」
西南戦争で敗北した西郷隆盛は熊本城を攻めあぐね、このような言葉を残したと言います。
t.co/GxIBnzv9fD
地震で瓦や塀が崩落した熊本城。一刻も早い復旧を祈念します
自宅からみた熊本城です…残念なことに天守閣の石垣の一部が崩れております。でも、まけません! がんばりましょう!皆さん!!
#熊本地震 https://t.co/km9HX7Y47E