◎ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さん死去74歳
グループサウンズ(GS)、ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦(かせ・くにひこ)さんが亡くなったことが分かった。74歳だった。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150421-00000108-nksports-ent
加瀬邦彦さん
加瀬さんは、都内の自宅で、がんの治療中だったが、21日午前、身に着けていた呼吸器を、自分でふさいだ状態で死亡しているのが見つかった。
出典:Yahoo!ニュース
◎GSブームの一翼を担ったザ・ワイルドワンズ
加山雄三が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成
ザ・ワイルド・ワンズというグループ名の由来は慶應義塾大学の先輩で親交の深い加山雄三が星占いにより、『野生児』という意味を込め命名。
デビュー曲「想い出の渚」がいきなりヒットし、「青空のある限り」「愛するアニタ」など、ヒット曲を連発。GS(グループ・サウンズ)ブームの一翼を担った。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150421-00000131-spnannex-ent
想い出の渚
ザ・ワイルドワンズ
1966年11月に『想い出の渚』で東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)からデビュー
得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワンズサウンドの要となる。
◎ザ・ワイルドワンズ解散後は沢田研二のプロデューサーとなる
解散後は、PYG(ピッグ)や井上堯之バンドともかかわりを持ち、作曲家としてだけでなく、沢田研二のプロデューサーとなる
◎加瀬邦彦さんが衣装やすべてを考えてくれる
ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さんが、沢田研二個人のプロデューサーとして衣装やすべてを考えてくれるようになったんです。
衣装早川タケジ、作詞家糸井重里の起用、パルコCFへの出演推進など功績は多岐にわたる。井上バンド解散後も沢田を支え続けた
◎沢田研二、衣装早川タケジ、そして加瀬邦彦さんの快進撃!
勝手にしやがれ
クリーム色のスリーピースで、歌いながら帽子を投げるパフォーマンスを行った
加瀬邦彦は、三人の関係は家族や兄弟のようなものだったと答えた。「仕事だけど仕事じゃない」フランクな雑談のなかから、世間をあっと驚かせるようなアイディアが生まれ、新しい音楽が次々に生まれていくきっかけになった。
サムライ
ナチスをイメージする黒の上下に裸の入れ墨
プロデューサーである加瀬邦彦は「もっと色っぽく、いやらしく歌って」「もっと過激にいこうよ」と進言していたが、お茶の間に流れる一般のテレビ番組ではまだ控えていた。
憎みきれないろくでなし
タバコを吸い、ポリス帽で片目を隠し、黒の皮パンの腰をうねらせ、曲の間奏で井上堯之バンドと身体をすり寄せた。
カサブランカ・ダンディ
ウイスキーを口にふくんで霧のように吹くパフォーマンス
「ロンリー・ウルフ」が伸び悩んだときも、加瀬の「次こそは」という強い思いが電飾つきのパラシュートを背負うという「TOKIO」の演出に繋がったという。
出典:【エンタがビタミン♪】「仕事だけど仕事じゃない」沢田研二44年の秘密。 | Techinsight(テックインサイト)|海外セレブ、国内エンタメのオンリーワンをお届けするニュースサイト
TOKIO
250万円の電飾衣装にパラシュートを背負った。
◎沢田研二、当時を振り返る…
化粧をしたりピアスを付けたりしたことには賛否両論ありましたが、僕はもともと男らしくない人間ですし、男だって女々しくていいじゃないかという考えです。逆に僕の中では、化粧をする、と決断することが男らしいと思っていました。
恋のバッド・チューニング
装着したカラーコンタクトが青や金色に変化
◎沢田研二を支えてきた井上堯之「もうついていけない」
プロデューサー加瀬邦彦、衣装早川タケジとともに当時の「ジュリー」をサポートしていた井上堯之バンドのリーダー井上堯之は、過激なコスチュームに走る沢田に対して「もうついていけない」と語り、井上堯之バンドは同年1月24日に突如解散する。
◎井上バンド解散後もジュリーを支え続けた加瀬邦彦さん
井上バンド解散後も沢田を支え続けた
◎その後、ジュリーは独立…
1985年1月からの半年間の休養を経て、沢田はデビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立。
その後、テレビ番組への露出はセーブ。NHK紅白歌合戦の誘いも固辞、全国ライブツアーや音楽劇、アルバム制作、舞台の主演俳優として活動している。
◎2006年ザ・ワイルドワンズが結成40周年記念コンサート
加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズが結成40周年記念コンサートを2006年11月2日、日本武道館で行った。
◎なんと、沢田研二が登場!!
コンサート中盤、ザ・タイガースのヒット曲「シー・シー・シー」のイントロが始まり真っ赤な衣装の沢田研二が登場、一気にピークを迎える。
"ジュリーがワイルドワンズのヴォーカルだったら・・"の設定で当時のGS(グループサウンズ)がレパートリーとしていた洋楽のカバー曲を披露。
◎加瀬さんはジュリーを「やっぱりすげぇヤツだ」
ジュリーが還暦の時にやった東京ドームの『ジュリー祭り』を見て、やっぱりすげぇヤツだと思ったんだね。日本の音楽業界がつまんなくなってきてるから、俺たちがまた何かやるのも刺激になるんじゃないかと、彼に声かけたの。
◎そして、2009年「ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」!
2009年、GS時代からの盟友である沢田研二を迎え入れ「ジュリー with ザ・ワイルドワンズ」としての活動を発表、オリコン1位獲得を目標に2010年2月10日に新曲「渚でシャララ」を発売した(実際にはオリコン24位)。
JULIE with THE WILD ONES
「沢田研二 還暦コンサート 人間60年 ジュリー祭り」を客席から見守った沢田の盟友・加瀬邦彦は、その後に沢田と飲んだ席で、「今の主流のHIP-HOPと違って、僕たちの世代が元気になれる曲を出そうよ」と誘う。それが、沢田と加瀬邦彦率いるザ・ワイルドワンズが合体した1年限定のユニット、『ジュリーwithザ・ワイルドワンズ』。アルバムがこのJULIE with THE WILD ONESである。
「FRIENDSHIP」は作詞を沢田、作曲を加瀬が担当し、ふたりの友情を歌ったものになっている。
出典:【エンタがビタミン♪】「仕事だけど仕事じゃない」沢田研二44年の秘密。 | Techinsight(テックインサイト)|海外セレブ、国内エンタメのオンリーワンをお届けするニュースサイト
◎ワイルドワンズ4人全員がガンを経験…
加瀬さんは食道がん、鳥塚しげき(68)が胃がん、植田芳暁(67)は大腸がん、島英二(67)は胃がんだったが、その経験から冗談で「ワイルドガンズ」と名乗ることもあった。
出典:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/04/21/kiji/K20150421010213170.html
◎加瀬さんは2012年には「さらにパワーアップ」と決意…
加瀬さんは12年4月の自身のブログでユーモアたっぷりに「癌を克服して元気で明るく活動しているワイルドガンズ」とつづり、「多くの人達に希望と勇気を与える事ができる様に、さらにパワーアップして上を目指します」と決意を記していた。
出典:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/04/21/kiji/K20150421010213170.html
◎しかし、1年ほど前から体調を崩した加瀬さん…
1年ほど前から体調を崩して自宅療養中だった。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150421-00000164-jij-soci
グループサウンズの代表的バンド「ザ・ワイルドワンズ」のリーダー、加瀬邦彦さん(74)が、東京都港区の自宅で死亡していたことが21日分かった。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150421-00000117-mai-soci
◎ジュリーとともに多大な影響を与えてくれた加瀬さん
いつもいつも笑顔で冒険心に溢れてて、心にスッと入って来るポップでロックでカッコいい曲をいっぱい作ってくれた加瀬さん。
ジュリーにとって、フランスで仕事してた時も井上バンドが去った時も、ずっと側にいてくれた本当に大事な人。信じられない。…>_<…
無神経な取材が無いことを祈ります。
加瀬邦彦さんの訃報。ジュリーとの素晴らしいお仕事の数々がぼくらに与えた影響ははかりしれないでしょう。ご冥福をお祈りします。 http://t.co/SkQVZgeurb
upset the apple-cart@apple_cart
追悼、加瀬邦彦さん、貴兄がジュリーに書いた曲は、ちょうど俺が音楽に目覚めた時期と重なり、あくまでもリスナーとしてですが、俺の音楽的なセンスを拡張してくれた、素敵な作品群だったと思っております、ありがとうございました
@michaelangelll
ジュリーは強い人だから。加瀬さんの容体も知ってて覚悟はしてたかも。
ジュリーは自分のお母様を亡くしてまもなくの森光子さんとのビッグショーを、健気に勤めていた。あの感動のMCを思い出してる。。
加瀬邦彦さんが亡くなった。ジュリー&ワイルドワンズ武道館の直前に、ロフトでワイルドワンズのイベントがあって、その時DJをやらせていただいた。加瀬さんがジュリーに書いた「気になるお前」はB面ながら重要な曲だという話に、加瀬さん本人も「そうなんだよ」と言ってくれたのが印象に残っている
加瀬邦彦さんの訃報。一番に、ジュリーの心境はいかばかりかと…思い悩んだ。GS時代からソロ活動で、常に名プロデューサーで立役者であられた方だけに。しかも、死因が、自殺かの報道には、とても、残念で耐えられない。病の精神的な苦しみは本人しかわからない。いまは、ご冥福を祈るばかり。合掌…