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戦後から続く、米軍部…

戦後から続く、米軍部隊と児童養護施設の素敵なクリスマス…

大阪市東住吉区の児童養護施設「聖家族の家」で暮らす子供たちと米軍部隊「狼犬部隊」の隊員との温かい交流。ヒュー・オライリー軍曹の遺志が引き継がれ、戦後70年たった今も続いている。

更新日:

◎大阪の児童養護施設と米軍部隊の素敵な「クリスマス」

大阪市東住吉区の児童養護施設「聖家族の家」で暮らす子供たちと米軍部隊の隊員との交流が戦後70年たった今日も続いている。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

◎隊員がサンタクロースとしてプレゼント

25日のクリスマスパーティーでは、サンタクロースとしてプレゼントを手渡し、子供らはお礼に日本舞踊やフラダンスなどを披露することにしている。

出典:米軍隊員「サンタさん」今年もやって来た!…養護施設と心の交流70年 (2/2ページ) - 産経WEST

◎混乱続く、第二次世界大戦後からはじまった…

戦争が終わったからといって、直ぐに平和がやってきたわけではありません。いつの時代も戦争の犠牲となるのは子どもたちです。家を焼かれ、親を失い身寄りのない子どもたちは、あてもなく彷徨う浮浪児となりました。

出典:http://seikazoku.com/other/wh/

◎外国人の修道女らが戦災孤児らの世話をしていた「聖家族の家」

戦後の混乱が続く昭和24年、東住吉区にあった旧日本軍の兵舎を利用したバラック小屋の施設では、外国人の修道女(シスター)らが戦災孤児らの世話をしていた。

出典:米軍隊員「サンタさん」今年もやって来た!…養護施設と心の交流70年 (1/2ページ) - 産経WEST

◎「聖家族の家」を訪れたヒュー・オライリー軍曹

そのような中、出会ったのが「狼犬部隊」のニックネームを持つ、米国陸軍第27歩兵連隊の兵隊さんでした。

出典:http://seikazoku.com/other/wh/

ヒュー・オライリー軍曹
狼犬部隊を率いたヒュー・オライリー軍曹。
狼犬部隊とは、第27歩兵連隊のニックネームで、第1次世界大戦の終結間際に連合軍の一員として活躍し、疲れを知らない、勇猛であったといういきさつから呼ばれています。

そこで彼が見たものは、戦後の荒廃した環境の中十分な食料もなく、手足にはしもやけを作り、寒さに耐えながら暮らす子どもたちの姿だった。

出典:http://www.hawaiist.net/topics/oahu/370

◎ヒュー・オライリー軍曹は子どもたちに援助を始めた

「狼犬部隊」の異名をもつ同隊のヒュー・オライリー軍曹=当時(35)=が、物資不足の中、食糧調達に苦心するシスターを見て、食糧や毛布、石炭などの物資の援助を始めた。

出典:米軍隊員「サンタさん」今年もやって来た!…養護施設と心の交流70年 (1/2ページ) - 産経WEST

さらにオライリーさんは「給料の一部をこども達のために」と帽子をまわして募金を集める活動から始まり、食物や衣服の調達、建物の修復といった援助を行ってくださいました。

出典:http://seikazoku.com/other/wh/

◎その年の12月にはクリスマスパーティーに子供を招待

その年の12月には、子供たちを部隊のクリスマスパーティーに招待した。

出典:米軍隊員「サンタさん」今年もやって来た!…養護施設と心の交流70年 (1/2ページ) - 産経WEST

◎日本を引き揚げた後も部隊による援助は続けられた

朝鮮戦争に従軍するため、25年に日本を引き揚げた後も部隊による援助は続けられた。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

その後、部隊の中では「クリスマス・エブリ・ペイデイ(毎回の給料日がクリスマス)」との言葉が広がり、ヒュー・オライリーさんを始めとする隊員たちは施設を支援し続け、1950年に始まった朝鮮戦争に従軍した時も塹壕内でヘルメットを回して仲間からお金を集め施設に送ったという。

出典:http://www.hawaiist.net/topics/oahu/370

部隊が本拠地のハワイに帰ってからも寄付は続いた。当時の隊員らが退役した後も引き継がれ、現在までの約70年間での総額は2億1千万円を超える。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

◎毎年12月には隊員が来日

終戦後、大阪駐屯中に支援を始めたヒュー・オライリー軍曹の遺志が引き継がれ、毎年12月には隊員が来日。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

◎昭和32年からは子供たちを毎年ハワイに招待

昭和32年からは子供たちを毎年ハワイに招待。これまでに約150人が隊員の家にホームステイした。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

また、隊員の紹介などで100人超が国際養子縁組で米国へ渡っているという。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

◎2006年6月24日に亡くなられたヒュー・オライリー 氏

当施設に長い間ご援助いただいた大恩人である ヒュー・オライリー 氏が2006年6月24日(日本時間)に、ハワイの自宅でご逝去されました。

出典:http://seikazoku.com/other/wh/

ヒュー・オライリー 氏

◎その遺志は現役隊員にも受け継がれている

「困窮している子供たちの状況を見たら誰もが私と同じことをしただろう」と話していたオライリーさんは9年前に91歳で亡くなったが、その遺志は隊員OBを中心に、現役隊員にも受け継がれている。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

◎施設の卒業生は懐かしみ、振り返る…

施設の卒業生で、山形県鶴岡市の中田鈴雄さん(74)は「オライリーさんは最大の恩人で父親代わり。兵隊さんたちは子供ら数人をぶらさがらせ、スキンシップを取ってくれた」と懐かしみ、卒業生の女性(72)も「木琴をもらったことがうれしくて忘れられない」と振り返る。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000068-san-soci

◎この素敵な交流は映画化されました

部隊と施設の子供たちとの交流は1955年、「やさしい狼犬部隊」というタイトルで米国で映画化された。

出典:米軍隊員「サンタさん」今年もやって来た!…養護施設と心の交流70年 (2/2ページ) - 産経WEST

「やさしい狼犬部隊」
「ニューヨーカー」に掲載されたE・J・カーンの実話小説をも とに「折れた槍」のリチャード・マーフィーが脚本執筆、自ら第1回作品として監督、「地上より永遠に」のバーネット・ガフィが撮影を担当した。主なる出演者は「俺達は天使じゃない(1955)」のアルド・レイ、「長い灰色の線」のフィル・ケイリー、新人ディック・ヨーク、日本側より木村三津子、斎藤達雄、大川平八郎など。1955年作品

一 課 長@1kachou

ハワイの「狼犬部隊」が大阪市を表敬訪問されます t.co/Y0BccZLfPs

戦後60年以上続く師走の風物詩なんだが、あまり報道されないから知られていない…

返信 リツイート 2015.12.18 10:58:01

robasian@robasian

狼犬部隊と聖家族の家 t.co/GHd9vWXaol こんな方がいたんだなぁ・・・知らなかったよ(´ω`)

返信 リツイート 2015.12.25 08:58:25

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