▼1985年8月12日 日本航空123便墜落事故が発生
日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日に日本航空のボーイング747型機が群馬県多野郡上野村の山中に墜落した航空事故である。
乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人であった。単独機の航空事故の死亡者数として2020年(令和2年)7月時点で世界最多である。
▼事故当該機は日本航空所属ボーイング747SR-46型機(機体記号:JA8119、製造番号:20783)
事故以前のJA8119
1978年(昭和53年)6月2日、大阪伊丹空港着陸の際に機体尾部を滑走路面に接触させた事故が発生していた
123便に使用されたボーイング747SR-46型機(機体記号:JA8119、製造番号:20783)は1974年(昭和49年)1月30日に製造され、1985年(昭和60年)8月19日付登録抹消された。総飛行時間は25,030時間18分で、総飛行回数は18,835回であった。
1978年(昭和53年)6月2日、大阪伊丹空港着陸の際に機体尾部を滑走路面に接触させた事故である。修理後から本事故までの飛行時間は16,195時間59分で、飛行回数は12,319回であった。
▼事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊が生じ、ほぼ操縦不能となり墜落
1987年(昭和62年)6月15日、第286回事故調査委員会で事故調査報告書の最終報告書案、勧告案、建議案は議決され、本事故の原因は次のように結論された。
本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される。
飛行中に後部圧力隔壁が損壊したのは、同隔壁ウエブ接続部で進展していた疲労亀裂によって同隔壁の強度が低下し、飛行中の客室与圧に耐えられなくなったことによるものと推定される。
疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因しており、それが同隔壁の損壊に至るまでに進展したことは同亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される。
▼事故機のパイロットたちは機長が運航部門指導教官 副操縦士もDC8の機長経験あり 航空機関士もエンジニア部門教官だった
機長は49歳で、海上自衛隊から富士航空・日本国内航空を経て1966年(昭和41年)12月1日に入社。
総飛行時間は12,423時間41分で、そのうち4,842時間22分がB747型機の飛行である。運航部門指導教官でYS-11、B727、DC-8の運行資格を保有していた。
当日最初のフライトで、副操縦士席で副操縦士の指導や無線交信などを担当していた。
副操縦士は39歳で、1970年(昭和45年)4月18日に入社。総飛行時間は3,963時間34分で、2,665時間30分がB747型機の飛行である。
DC-8の運行資格を保有し機長としても乗務していた。当日は別の機に乗務してからJA8119に乗り換え、訓練のため機長席に座り、操縦とクルーへの指示を担当していた。
航空機関士は46歳で、1957年(昭和32年)4月1日に入社。総飛行時間は9,831時間3分で、3,846時間31分がB747型機の飛行である。
エンジニア部門教官で、DC-6、B727、DC-8の運行資格を保有していた。当日は羽田-福岡線で363、366便でJA8119に乗務していた。
▼ほぼ操縦不能となった事故機の操縦はエンジンの推力調整だけで機体の向きを変えるしかできなかった
パイロットたちは懸命にコントロールを試みるが・・・
▼事故当日、日本航空503便 羽田→千歳で運航されていた写真が記録されている
古い写真を一枚。日本航空503便 羽田→千歳 機体番号JA8119 撮影日1985/08/12 http://t.co/E5BKP1vaQW
▼後に全日空のパイロットがフライトシュミレーターに事故機の飛行データを入力し操縦した
着陸は不可能ではなかったが、条件はかなり厳しかった
後に全日空にて独自にフライトシュミレーターに事故機の飛行データを入力し操縦したところ、無事着陸可能だった。
但し、条件は「機体の破損状況を全て把握していること(飛行中、内部から確認不能な垂直尾翼の破損状況も含む)」と、「着陸地点にとても広大で、平坦な障害物の無い場所があること」で、事実上、日航123便は「生還不能」という意見に達した。
仮に海上に出ても、ろくに制御が利かないのであれば不時着水は不可能で、もし逆の太平洋上に出ていれば、遺体も回収出来ないような状態になっていたであろう。
▼2020年8月6日 Flightradar24に日本航空123便が現れた!?
一応表面上は消えましたが、JA740Jの履歴に残るみたいです。気になる方はご確認を…
t.co/QmpIa0fWLm
▼Flightradar24とは?
Flightradar24(フライトレーダー24)とは、飛行中の民間航空機の現在位置をリアルタイム表示するウェブサイトならびにスマートフォン・タブレット向けアプリケーション。FR24、あるいは単にフライトレーダーなどと略されることもある。
▼2020年8月6日 JL123便に充てられた機体はJA8119ではなくJA740Jとされる
日本航空所属 Boeing 777-346ER(JA740J)
▼8月6日のAM4時の時点でもJL123便の記録が残っていた
▼「JL123」はたまに出るとの証言も
fr24上の「JL123」、たまに出るよ。なぜかは知らんけど。たぶん何かの悪戯か何かの間違いなんで気にしないほうがいい。 https://t.co/4JEJJvcaNL
ちなみにJL123のコールサイン自体はトゥールーズ(エアバスのおうち)でもテスト機が出していたこともあるけど時期が悪そう
▼Flightradar24にまさかの日本航空123便が現れた!? ツイッターでは困惑が止まらない 打ち間違いなのか?システムバグなのか?
お、おい成田に永久欠番になったはずの123便(JL123)が…え?なんで? https://t.co/wLwIqZAr1b
JALの123便が墜落して多数の死傷者を出したのが1985年のちょうどこの時期8月12日で、以降JALは「123便」を永久欠番にしていたはずなのですが、では今フライトレーダーに映っているJALの123便は一体どこの飛行機で、何をしに行くのでしょうか…… https://t.co/rqdwHv2IHT
いやこれ怖すぎるだろ…対地高度50ft固定、向きが「ランダムで」「コロコロ変わる」、そして何よりあのJL123という数字 https://t.co/0ZHNRG71hk
@m3600 @COBRA11E46 時期が時期だけに(事故は8月12日)打ち間違いじゃ済まない気がします。
飛行機の事は詳しくないですけど、操縦士か副操縦士?
Ryuk トレポン買うまで軍拡ストップ(備品は除く) RTボマー(リュークマン:返信爆速マシ-ン)@Ryuk_R34_Hicapa
@m3600 機体記号からしても少し怖いですね...
あの機体は1974年製造の747だったので...
黙祷します...
@dairokubunmei @m3600 オカルティックなバグだとか、いたずら目的のハッキングだとか、できれば原因が解明されて欲しいものです。。。
▼まさかのこの怪現象に日本航空は取材に応じた
航空機の位置を表示するウェブサイト「フライトレーダー24」に、今は運航されていないはずの「JL123」便が登場し、ネット上で臆測が広がった。「JL123」は、単独機の事故としては世界で最も多い520人が犠牲になった1985年8月12日の日航ジャンボ機事故で、事故機がつけていた便名だ。
出典:お盆前の成田空港に「JL123」便が現れた怪 日航ジャンボ機事故で「欠番」のはずが...: J-CAST ニュース
▼日本航空では、整備作業の際に何らかの便名を設定する必要があり、その際に「0123」を使用したと説明している
日本航空(JAL)では、整備作業の際に何らかの便名を設定する必要があり、その際に「0123」を使用したと説明している。
だが、慰霊の日を1週間後に控える中での出来事でもあり「お騒がせすることとなり、大変申し訳ありません」と陳謝。便名設定時のルールを定めて再発防止を図る。
出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/7ddab776aea15e65598c0ff8ff28925a9d636e59
JAL広報部では、「JL123」が登場した経緯について、
「整備作業上の理由で任意の便名を設定する必要があったため、0123の順番の数字を使用しました」
と説明している。
つまり、「0000」でも「9999」でも何でもよく、偶然「0123」を設定したために起きた騒動のようだが、
「今後は便名設定時のルールを作成したいと考えております。お騒がせすることとなり、大変申し訳ありません」
出典:お盆前の成田空港に「JL123」便が現れた怪 日航ジャンボ機事故で「欠番」のはずが...: J-CAST ニュース
▼20年2月28日の成田空港、19年8月28日にエアバス社の工場があるフランス・トゥールーズでの「JL123」出現は同じ理由だった
「フライトレーダー24」を見る限りでは、20年2月28日に成田空港、19年8月28日にエアバス社の工場があるフランス・トゥールーズでも「JL123」が出現している。今回と同様に整備時に便名を「0123」と設定したためだとみられる。
出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/7ddab776aea15e65598c0ff8ff28925a9d636e59
▼ライバルのANAでは9999を使用しているとの情報も
JALにとって123便はどういう事なのかを
入社時には必ず当該事故のことを教育されているはずです。
通常、このような機番は欠番扱いにして、
9999を使う様にするべき。
海外整備委託機や新造機のフェリーのときは、
9999や9998を使う様に徹底しよう。
ANAは9999を使っている。
まあ今回はタイミングが悪すぎた。
航空関係者は特にコロナで大変な時期。
だけど気の緩みはあってはいけない。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
▼墜落事故から35年が経過 現役スタッフの多くは事故以降に生まれたスタッフだろう 当然、事故当時をリアルに知ることはない
▼墜落事故から35年で世界も変わる その後、導入されたボーイング777や787は安全性も経済性高く、大きな事故もない
最新鋭機であるエアバスA350
▼この怪現象の原因が解明される・・・・・ネット民の反応
123便と聞いても反応出来る人が減っている証拠だと思う。
入社時には必ず当該事故のことを教育されているはずですが、日常業務において思い出すことはほぼ無いかと思われます。
管理職を含めあの事故を目の当たりにしている世代が限りなく少なくなっているということでしょう。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
123便なんて覚えやすい数字なのにね。
事故の事は、JALだけでは無く日本の航空関係に勤めていたら忘れてはならないと思います。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
若い整備士なんだろうけど、日航が組織として永久に背負わなければならない大事故だから、こういうことはきちんとするべき。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
結局、日航ジャンボ機墜落事故を知ってはいても、便名までは覚えていない若い整備士が増えたってことかな。
研修施設にコーナーはあるんだから、しっかり覚えないと。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
事故の時に産まれていて、事故をはっきり覚えている世代には冗談にならないミスだけど、さすがに35年経過している現代ではうっかりはあるかもしれません。
このように事件として扱われるのですから、やはり使うべきではないと思われますね。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
あれからもう35年も経つのか。
あの事故は色々な意味で衝撃的だった。
生存者がいたこと。後、墜落の原因も謎。
救援に向かった自衛隊員が射殺された?などというニュース速報が流れたり、当時首相だった中曽根さんも、真相は墓場までもってく・・・と言い残している。
何だったのかな・・・。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
自社にせよ外注にせよ、無意識だったにせよ日本航空の航空機に123便を設定するのは絶対にあってはならないと思う。それほどの事故だし絶対に風化させてはいけない。0123と入力したときに気づかないと。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci
▼これは本当に凡ミスなのか? もう35年経ったのだから事故の真実を 明かせとのメッセージと考えるネット民も
亡くなられた方からメッセージかも?
もう35年経ったのだから事故の真実を
明かせとの・・
自分も納得出来る真実を知りたい。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200806-00000006-jct-soci