▼30年前のパソコン事情 当時はツイッターやLINE、2ちゃんねるもなくパソコン通信が主流だった
▼今のパソコンに比べて当然、処理スピードは遅く、記録容量も少なかった
▼ちなみにこれはオウム真理教が運営していたマハーポーシャが販売していたパソコン
マハーポーシャとは、かつてオウム真理教の関連会社である株式会社マハーポーシャが経営していた、PC/AT互換機の自社組立てパソコン、いわゆる「ホワイトボックスパソコン」を販売していた店舗、およびそのショップブランドの名称である。
信者が同時に客からのクレームなどに対応していた。しかしサポート能力はあまり高くなかったとされ、オウム真理教関連店であることや、メーカー保証が期待できないことを恐れないパソコンマニアたちによく利用されていた。
掛け声を交えたチラシ配りを、千代田区外神田の路上で通行人の目を引くようにして行い、他社と比較して大幅な安値でPCを販売したことで、秋葉原に通う者の間で有名になった。1990年代前半に最盛期を迎え、1995年の地下鉄サリン事件を機に休業し、2002年に廃業した。
▼1995年の地下鉄サリン事件でお騒がせの時期のマハーポーシャ
▼ネット民の語る“あの頃” あの頃のパソコンに100万円以上かけたネット民も
Windows95出る前とか100万に近いくらいしてたからな
新入社員の頃初めて買ったパソコンはワープロぐらいしかできないのにプリンター込み一式で100万以上かかった。2年ローンで買った。
9801時代に100万超えてるの店頭で見た事ある
日本で初のカラー液晶(640x480)を積んだノートのpc9801nc は当時80MBのHDDで830000円だった
OSはwindows3.0A
5年ローンで買ったわ
ワード58000円、エクセル98000円で後付けした。
すげー時代だった
初めて買ったwin95のメビウスはソフマップで58万だった。
HDD80MBのX68000が40万くらいした
21インチのモニターが10万くらいだったかな
それを10回払いでかったw
アップルのLISAとか100万超えてなかったっけ
バブル時代のB5Let'sNoteとかも50万超えてた記憶が
その頃のアップルのパソコンはパソコン1台で車が買えるとか言われてたなw
日本だとWindows95が出た後くらいから価格破壊が始まった気がする
ソーテックのwin95機がモニタOS込みで10万円切ったりとか
win98の頃になるとNECとか富士通とか大手がモニタ+本体で
15万くらいの機種発売してた
当時のnec98は100万近くした。マックがデザイナーしか使わない時代で120万。アクオスの初期の正方形のアナログ液晶テレビも当時100万した
ほんとアホみたいに高かったからな
パソコン屋でゲームのデモだけ見て帰ってたわ
副業でパソコンの設置とサポートやってて
メモリの増設で材工で五万とか貰えてた時代
本業で当時担当してたのが電子商店街()
そんで創業メンバーに誘われて断ったのが楽天
40MBの外付けハードディスク
10万で買った記憶あるわ
40GBじゃないぞ
こういうのを買って弄るために働いて稼いでたんだよな
今の学生とか30万40万払う気概とか無いだろうし
消費するだけだから置いていかれる
▼30年前のパソコン生活
1989年9月16日に放送されたTBSドラマ「空と海をこえて」は当時を語る貴重な資料となっていた
加藤茶が出てたやつか、覚えてる。ロケ地沖縄だったから。ガキながらインパクトあったドラマだ。
▼主演は後藤久美子 重要なキーマンの1人に加藤茶
空と海をこえて(そらとうみをこえて)は、1989年9月16日の21:03 - 23:48(JST)にTBS系列局で放送されたパソコン通信をテーマにしたテレビドラマである。
日立製作所の一社提供(日立スペシャル)。後藤久美子主演。未DVD化。
ストーリーは2つの舞台が絡み合っていく。
東京都文京区・小日向に住み、都内の高校に通う主人公・桂木あかね(後藤久美子)がOBの女性と共に、中学生時代通っていた学習塾の後輩らと夏休みに八重山列島・西表島の約10km南に浮かぶ新城島でワークキャンプを行う。
そこで嫌気性細菌ボツリヌスで汚染されたキャベツの浅漬けによる食中毒が発生。電話機が故障のため、パソコン通信で助けを求める。
一方で、矢野高志(加藤茶)が妹・矢野優子(荻野目慶子)の参加している「芭蕉ネット」(オンラインで俳句を作るチャット)に関わり、様々なトラブルを起こしながらも絆を深めてゆく。チャット中に桂木あかねからのSOSが入り、救助に協力する形で物語はクライマックスに。
▼まったく接点がないと思われたストーリーがパソコンを通じて絡み始める
中学国語教師・矢野高志は夏休み中にパソコンでも覚えようという気になる。同僚の英語教師・映子は巣鴨でそば屋を営んでいる父・史郎の家業を手伝っている。幼い頃に母を亡くし、父曰くがさつな性格。パソコンに貯金とボーナスを注ぎ込んだと豪語し、高志がパソコンを覚えたいと言うので指導し始める(このような場面では、しばしば基本用語の解説のテロップなどが出る)。妹の優子が高志のアパートへ引越して住み着き、パソコンを持ち込んだことで、興味本位に妹宛のメールを覗いてしまい、勝手に返事を出したことからトラブルが発生する。
女子高生の桂木あかねは、中学時代通っていた学習塾の後輩たちと夏休みに無人島でワークキャンプを行う計画を立てている。あかねの先輩にあたるOBの西村苑子がキャンプ・リーダー。生徒の中には高志の教え子・瓜生俊夫がいる。泳ぎの名人ということであだ名は「カッパ」に決定。その他の生徒たちも自己紹介のたびにあかねにあだ名を付けられていく。
あかねが部屋でパソコンを使っていると母・幸子がパスポートを取得したと見せにくる。あかねがキャンプに行っている間、父・誠の仕事にかこつけてスペインへ行くのだという。誠が庭であかねに飯盒炊爨のコツを伝授。あかねは「私って邪魔? 私もキャンプより一緒にスペインに行きたい」とやきもちをやくが、父にワークキャンプも貴重な経験だとたしなめられる。結局、幸子は家を留守にするとあかねに何かあった場合に困るだろうと旅行を断念。
あかねたちはいよいよワークキャンプを開始。食事を作っていた女の子が洗った後に落として土のついたキャベツを漬け込んでしまい、ボツリヌス菌が繁殖した漬物を食べてボツリヌス中毒が発生。あかねだけは運よく漬物を食べ損ね、中毒にかからずに済む。
▼助けを呼ぶために電話機を取るが壊れたことが発覚 ノートパソコンとモデムを繋いで自宅に電話をかけることを思いつく
子供たちは次々に発病。やはり助けを呼んだ方がいいと電話機を取るが、壊れたことが発覚。昼間、俊夫達が野球をしていて打球が電話機に当たり壊してしまったのを黙っていたのだった。ついには、「あんたたちいったい何を食べたの」と叱っていたリーダーまでも発病。あかねが天体観測のために持ち込んでいたノートパソコンとモデムを繋いで自宅に電話をかけることを思いつく。
しかし、1989年当時のモデムには話者の声を相手に届ける機能が無いため、いくらモデムを使って通話しようとしても向こうの声がこちらに聞こえるだけで、こちらの声は向こうに届かない。そのため、母は無言電話だと思い怒って切ってしまう。
▼窮余の策として入室可能なチャットへ手当たり次第に割り込んで助けを求めてみるが・・・・
窮余の策として入室可能なチャットへ手当たり次第に割り込んで助けを求めてみるが、チャット荒らしと思われてなかなか相手にされず、「芭蕉ネット」でようやく話を聞いてもらうことが出来る。いたずらではないかと優子は疑うが、医者を呼んで欲しいと懇願する文面を見た高志は俊夫がキャンプに行くと言っていたことを思い出し、あかねの身元も確認できたので詳細を聞いて沖縄の仲間を探すことになる。BBS(掲示板)で沖縄の仲間を探したところ、漁師の伊良部徹が協力。開業医の伊是名又吉を連れて船を出す。診断の結果、熱はない・物が二重に見える・薬を飲み込めないなどの症状や、あかねだけが食べなかったものが漬物であったことを思い出し、ボツリヌス中毒ということが判明、病院に搬送し血清を待つ。しかし、マウスを使った検査の結果、これまでのA,B,E,F型のどれでもないことがわかり、希少種のG型のため、国内に血清がなく、苦闘する。
ドクターが海外の掲示板で血清のありかを求めることを提案、英語のできる人はいないかと呼びかけた所、アキラが名乗り出る。高志はアキラの正体が映子であることを確信し、高志もまたドクターの家に向かう。その頃、病院では俊夫の父親ら生徒の父兄が1人だけ無事だったあかねを「どうして、食中毒にならなかったんだ?」と責めて又吉に「この子が無事だったから助けを求めることが出来たんだ!」と叱責され、血清が日本国内にないことを知って騒ぎ立てるなどの騒動を起こしていた。
パリで掲示板を見たクロード・ベレがパスツール研究所に向かうと、日本大使館員を待っていたのでは間に合わないから運んでくれと頼まれる。研究用の血清を受け取り、日本へ向かう人を探すがなかなか見つからない。旅行で来ていた安藤晴美に頼むが、彼女は自身の楽しみのことしか頭になく「事情はわかったけど私はあと数日滞在する予定なの、空港で探したらいいじゃない。」と死にかけている人の窮地を無視しようとするが、タクシーの運転手に「フランス革命の標語をご存知か?」と言われ、思い直して引き受ける。
血清が無事フランスを出たことがわかり、高志たちはひと安心。ドクターの家から映子を送り届けた高志は史郎に「先生が娘を送ってくると思って妹さんには連絡しておいたからそばがきを食べて行きなさい。これからも娘のことをよろしく頼むよ。」と言われ、泣いている映子をなぐさめ、アキラのハンドルネームやパスワードの由来を教えてもらう。
▼エンディングは2人がすれ違って終わる
エンディングでは2学期が始まり、高志と映子の仲も進展模様。雑踏の中、高志は「あかねさんにも一度会ってみたい」と思い、また、あかねも「私たちを助けてくれた芭蕉ネットの人たちにもいつか会いたい」と考え、あかねが「会うのが楽しみ」と思った瞬間、2人はすれ違うのだった。
▼放送から30年以上が経過 YouTubeにUPされていることが確認される
当時の日立製のパソコンやワープロのCMも貴重
空と海を越えて1/3
出典元:YouTube
空と海を越えて②
出典元:YouTube
空と海を越えて③
出典元:YouTube
▼この30年でパソコンの性能もネット環境も劇的に進化したはずだが、ネット民は何を思う?
30年後には今のスマホやPCも同じように言われてるんだろうな
こういう事言うとなんだが、スマホはともかく、PCはどうだろうな
ここ10年くらい劇的に進化した感じないし、クロックもそろそろ物理的に限界に近いだろうし
OSが壊滅的に軽くなって安定化したから
今のままでいいよ
95-96年ぐらいからタイムスリップして現代に来たとしても、
スマホは「カラーPDAに常時接続のモデムが付くのか、ふーん」ぐらいにしか思わない。
逆に、銀行員がツーブロとか街中軽自動車だらけとかそっちのほうがビックリする。
それはあるな。
意外とデジタルデバイスの変化に関しては驚かないかも?
それより国力の低下や経済の凋落、若者の元気の無さ、中年以降になってても独身が多い。
みんな全体的に若いというか幼い。
こう言う人間性の変化にはめちゃくちゃ驚くと思うわ。