■今月の10日に悪性リンパ腫で亡くなっていた俳優の高倉健さん
故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行ってからの公表となった
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141118-00000096-spnannex-ent
事務所発表の文書では「これまでお励まし戴きました皆様、心より深く感謝申し上げます。有難うございました」と感謝の言葉をつづり、「今は、お一人おひとりの心の中に宿る故人の笑顔に、静かに祈りを捧げて戴けますことを願っております」とした
出典:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/18/kiji/K20141118009306270.html
・次回作の準備中に体調を崩していた
高倉健さんは、次回作を準備中に体調を崩して入院、懸命の治療を続けたが10日に死去
出典:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/18/kiji/K20141118009306270.html
所属事務所によると、「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」と天命を全うした安らかな笑顔だったという
■さまざまな役を演じた”映画俳優”高倉健さんの俳優人生
31年に福岡県に生まれ、大学進学のために上京。55年、東映ニューフェイス2期生として入社した。演技経験などは全くなかったが、翌56年に映画「電光空手打ち」で主演デビューした
出典:http://news.goo.ne.jp/article/hochi/entertainment/20141118-134-OHT1T50022.html
東映任侠(にんきょう)路線の出発点となる「人生劇場・飛車角」で鶴田浩二と共演、耐えに耐えた末、最後は自ら死地に赴くやくざ役でストイックなイメージを確立
出典:俳優の高倉健さんが死去 83歳 悪性リンパ腫 - 産経ニュース
60年代中盤から70年代前半にかけて
70年に高倉プロを設立。出演映画の問題で東映と意見が合わず、東映も「仁義なき戦い」以降、仁俠映画から実録路線に変更
76年に東映を退社する。フリー転向後、「君よ憤怒の河を渉れ」(76年)で仁俠映画のイメージから脱却し、以降幅広い作品に出演
その後「幸せの黄色いハンカチ」「八甲田山」「鉄道員(ぽっぽや)」など数々の作品で主演を務めた
テレビドラマなどにはほとんど出演せず、自らを「映画俳優」と呼ぶほど。生涯の映画出演作は205本に及ぶ
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141118-00000022-sph-ent
06年文化功労者。2013年には文化勲章受章
高倉健さんの遺作は12年8月25日に公開された主演作品「あなたへ」となった
出典:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/18/kiji/K20141118009306330.html
■硬派な印象の強かった高倉健さん
一貫して演じたのは、苦難に静かに耐える主人公。「八甲田山」「駅 STATION」、当時の興行記録を塗り替えた「南極物語」、モントリオール世界映画祭で主演男優賞を受賞した「鉄道員(ぽっぽや)」などでストイックな男性像を演じた
硬派でシリアスな演技を得意としているほか、謙虚な人柄が多くの人に共感を与え、男女の別や世代を超えて人気を博した
出典:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141118/t10013285911000.html
プライベートでも礼儀正しい態度が役者の間でも好感を持たれた
■「不器用ですから」”晴れがましい場所”が苦手だった健さん
日本を代表する名優でありながら、1984年に放送された日本生命のCMでのセリフ「不器用ですから」が代名詞になるぐらい、晴れがましい場所が苦手だった
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2005年には出演の中国映画「単騎、千里を走る。」が東京国際映画祭に招待され、レッドカーペットを歩いたが、「もう2度とやりたくない」と苦笑い。文化功労者にも「与えられた仕事を淡々とやってきただけなので…」と会見などで前面に出ることを避けていた
■遺作映画となった「あなたへ」の撮影中、台本に1枚の写真…高倉健さんが語った震災への想い
震災を経て「自分の持ち時間」を意識した。「僕にできるのは、映画で何かを感じていただくことです」
新作映画の撮影中、いつも持ち歩いていた台本に、1枚の写真を貼り付けている。震災の残骸の中、唇をかみしめて歩く少年。新聞から切り抜いた。「宝物です」
被災地を思う高倉さんは「人生は切ない。切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」と語る
出典:映画「あなたへ」高倉健伝説(6)|★日本一面白い芸能最新ネタ情報★|by ★日本一面白い芸能ネタ★|CROOZ blog
06年公開の中国映画「単騎、千里を走る。」に出演した後、「俳優の仕事とは何なのかと、答えのないことを考えていた」
だが、震災を目の当たりにして、自らの残された時間を見つめた。「いつまでも生きているわけじゃない。あれは嫌、これは嫌と言っているわけにはいかない。やらないと火花は出ない」
■高倉健さんの訃報に悲しみの声
小林稔侍
モントリオール世界映画祭で高倉健さんが最優秀男優賞を受賞した映画「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)で共演した俳優の小林稔侍さんは18日、「ショックのあまり言葉が出ない」とのコメント
板東英二
映画「あ・うん」「鉄道員」(ぽっぽや)などで共演した板東英二さんが約1週間前に高倉さんの事務所を訪れていたことを明かした
「つい一週間前に、健さんの事務所に直接お伺いし、また仕事が出来るようになりましたので、いつかご一緒させて頂きたいです。お身体をお大事に。というお手紙を預けてきた所でした」
「いつもご丁寧な方が、お返事が来ずに不思議だと思っていましたが、驚きで声も出ません」とコメント
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141118-00000001-mantan-ent
「私がいろいろあった時に手紙をくれて、ずっと心配してくれていた。たまに『おい』と電話をくれたり…。北海道で4日間一緒にいて食事を作ってもらったこととか、忘れられません。今夜からずっと健さんのことを考えていくんでしょうね」と語った
高倉健さん、一週間も前に亡くなられていたのですね。。
しかも11月10日・・森繁さんや森光子さんと同じ日に。。
ご冥福をお祈りいたします。
高倉健さんがドキュメンタリー番組でおっしゃってた「気持ちは映る」という言葉が好きだった。しみじみとかみしめて、たまのように撫でまくり、たからものにいたします。
ショックです。高倉健さん。初めて高倉健さんを映画で拝観したのは「幸福の黄色いハンカチ」でした。父の影響で演劇や映画を幼い頃から、観るのが日課で。今でも多いときで月20本は映画を観ます。日本人として日本映画を好きになれたのは、健さんがいらしたからです。ご冥福をお祈り致します。