■ミドル級で4連覇を果たした南海キャンディーズのしずちゃん
アマチュアボクシングの全日本女子選手権が4日、静岡県の沼津市ふじのくに千本松フォーラムで行われ、出場2人のミドル級決勝でタレントの「しずちゃん」こと山崎静代は立川睦子に2回56秒でTKO勝ち
出典:http://www.sanspo.com/sports/news/20141204/box14120417280001-n1.html
山崎が第1ラウンドのゴングから飛ばした。強烈な連打で押し込んでスタンディングダウンを奪うと、第2ラウンドも一方的に攻め続けた
出典:http://www.hochi.co.jp/sports/boxing/20141204-OHT1T50217.html
山崎はヘビー級も含めて一昨年まで3連覇しており、ミドル級で参加が1人だった昨年を挟んで“4連覇”となった
出典:http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2014/12/05/kiji/K20141205009401750.html
・「打たれる隙あった」試合での反省点を語った
山崎は一方的に攻めたが、相手が初実戦だっただけに「打たれる隙のある打ち方をしていた」と反省
出典:http://www.topics.or.jp/worldNews/worldSports/2014/12/2014120401001477.html
11月の女子世界選手権は1回戦敗退
出典:http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20141204/spo1412041824005-n1.htm
世界選手権で「どれだけ通用するか」と意気込んだが、結果はエジプト選手に0―3で判定負け
「練習でできている動きを、レベルの高い相手にもできるようにしないと」と誓った
出典:http://www.sankei.com/sports/news/141204/spo1412040039-n1.html
■最初は軽い気持ちで始めたというボクシング
ボクシングは2007年から始めた。『あしたのジョー』を好み、ボクササイズも流行っていた頃であり、芸人の先輩たちも多くボクシングジムに通っていたということから興味があり、軽い気持ちで始めた
実際にボクシングジムへ連れていってくれたのは、お笑いトリオ「ロバート」の山本博
出典:http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131026/wlf13102607000001-n1.htm
先日プロデビューを果たし、見事勝利を収めました
その場で「やってごらんよ」と勧められると、グローブをはめてすんなりと練習に入ることができた。「おもしろい」と夢中になった
出典:http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131026/wlf13102607000001-n1.htm
■ボクシングトレーナーの梅津正彦さんと出会いがボクシングに本気で取り組む転機となった
2人の出会いは08年。テレビドラマで女子ボクサー役を演じた山崎の技術指導をしたのがきっかけだった
出典:しずちゃん、梅津トレーナーを看取る - 芸能ニュース : nikkansports.com
NHKドラマ「乙女のパンチ」でしずちゃんは主演を勤めた
梅津さんから、マンツーマンでボクシングに関するきめ細かい指導を受けることができた。それまで軽いトレーニングを重ねているだけだったボクシングとの関わり合いが変わってきた
ドラマ終了後も本格的なトレーニグを継続
■二人三脚で挑んだロンドンオリンピックへの挑戦
2009年2月にはC級ライセンスを取得
出典:トップページ
言うと笑われるからと2人で密かに始めたロンドンオリンピックへの挑戦
出典:夢を信じる力 しずちゃんと梅津トレーナーの5年|普段のこと|沖縄グルメブログ主に那覇市浦添市宜野湾市周辺でグルメ、ランチ、食べ歩きが好きなブログ!最近はランチが多め、でもグルメではありません…
2009年の夏に、ロンドンオリンピックで女子ボクシングが正式種目になるというニュースが発表され、運命を感じたというしずちゃん
それ以降梅津トレーナーはしずちゃんの対戦相手を探す為に日本中を飛び回る等、献身的にサポートした
出典:価格.com - 「梅津ボクシング倶楽部」に関連するイベント情報 | テレビ紹介情報
女子ボクシングのヘビー級選手の数は非常に少なかった
2010年には梅津トレーナーは所属していた大手のジムを辞め、しずちゃんの為だけに梅津ボクシング倶楽部を設立した
■頭部のMRI検査でしずちゃんの脳に「影」が見つかったという報道も…競技の続行が不安視された
2012年4月10日発売の週刊朝日に「しずちゃん MRI検査で脳に『影』」という記事が掲載された
10年春ごろのMRI検査で脳に“影”があったと報じた
出典:http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/04/18/kiji/K20120418003067320.html
しずちゃんの検査を担当した脳神経外科医である谷諭氏は「一般論として、ボクサーの脳にMRI検査で『影』が写った場合、急性硬膜下血腫の可能性が高い」と述べ、競技続行が死につながることもあるとして、しずちゃんの競技続行に疑問を投げかけた
・しかしその後の検査で異常は見られず、再びオリンピックを目指すことを決意
2年前に頭部に異常が見つかったとする週刊誌報道を受け、約20種類の検査を実施。多くのボクサーを担当してきた医師の富永紳介氏が診断し、「出血、脳の萎縮はみられず、今後の活動に支障はない」とした
出典:http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/martialarts/boxing/1/20120417-OYT1T00760.htm
検査で異常があったと報道された直後の13日、公開練習後の会見を拒否するなど、精神的な動揺がみてとれた
受診後、会見場に現れた山崎は、開口一番「私は元気です」と報告
出典:http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/04/17/kiji/K20120417003064920.html
この日は笑顔で会見に臨んだ
「一生懸命、暴れたい」と改めて五輪への意欲を見せた
出典:http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/martialarts/boxing/1/20120417-OYT1T00760.htm
■夢のオリンピックに向け奮闘する日々…そんな中、恩師である梅津さんにガンが見つかっていた
梅津さんは全日本選手権の3か月前にあたる2011年11月に病気が発覚
その後2012年1月に皮膚ガンの一種であるメラノーマであると発覚しました
2012年1月27日に、緊急手術を受けた梅津正彦氏は、右脇腹の腫瘍を摘出した際にガンが発覚した
医師から、5年後の生存率は10%、10年後の生存率は0%と告げられてしまう。「余命1年」を宣告する医師もいたという
出典:http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20130801/Postseven_203285.html
・それでも大事なしずちゃんの試合のために手術を延長した
2月8日には2回目の緊急手術が予定されていましたが、しずちゃんの全日本選手権が2月11日に予定されていたことから、梅津正彦氏は命懸けの決断をします。それは、手術の延期でした
そして広島で開かれたアマチュアボクシングの全日本女子選手権ミドル級、南海キャンディーズの山崎静代が優勝。同時に、ロンドン五輪代表選考会を兼ねた世界選手権の日本代表にも選ばれた
「人生で初めて一番になれました。今までは泣いてばかりでしたけど、きょうは初めて泣きませんでした」と喜びにひたったしずちゃん。「私のために、こんなに一生懸命になってくれる人はいない。梅津さんのためにも勝ちたかった」
出典:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/02/12/kiji/K20120212002617910.html
■懸命に戦ってきたが…念願のオリンピック出場はならなかった
ロンドン五輪予選を兼ねて行われ、ミドル級3回戦で、アンドレア・シュトローマイヤーに1回1分56秒RSC(レフェリーストップ・コンテスト)で敗れ、ベスト8入りはならなかった。五輪出場枠獲得となるアジア最上位にはなれず、五輪出場は絶望的となった
出典:http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/05/16/kiji/K20120516003258991.html
世界選手権で敗れたため出場が絶望的となったものの、「アジア推薦枠」での出場の可能性が僅かに残っていた。しかし、日本アマチュアボクシング連盟の手続きミスが発覚、その可能性も消滅
出典:しずちゃん、手続きミスで五輪出場完全消滅|日テレNEWS24
ロンドン五輪のボクシング女子で、大陸別推薦枠を得るために必要な国際オリンピック委員会(IOC)への申請を、日本が1月16日の期限までに行っていなかった
しずちゃんの五輪出場の道は閉ざされた
出典:http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/martialarts/boxing/1/20120517-OYT1T00451.htm
■そして翌年の13年7月、しずちゃんに看取られ梅津トレーナーは息を引き取った
2013年7月23日に入院先の病院で死去した
山崎が前日午後7時半に梅津さんのもとを訪れると、意識もうろうとするなかで梅津さんは山崎に抱きつくような仕草をみせ、笑顔で「遅いよお」と話していた
その後呼吸が止まってからも「声は聞こえるということだったので耳元で声をかけていた」という。すると「梅津さんの目から涙が流れたんです。聞こえているんだなと思いました」
出典:http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2013/07/28/kiji/K20130728006313761.html
■最初で最後の挑戦だと思っていたオリンピック。しかし、しずちゃんは再び2年後のリオ五輪を見据えている
これまで、国際アマチュアボクシング連盟(AIBA)が設けたルールでは、年齢制限の上限が34歳だったが、AIBAのルール変更で、年齢上限が34歳から40歳に引き上げられた
日本ボクシング連盟関係者によると、リオデジャネイロ五輪でもそのルールが適用される
出典:ボクシング革命 ~ボクサー超人・偉人列伝~ : 南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代「リオ目指す」…8か月ぶりの実戦で判定勝ち
梅津さんは亡くなる前日に「生きたい!」と訴えていたことを明かした。恩師の無念さをはらすべく、決意を語った。「(五輪は)一緒にかなえたかった夢。その夢をかなえたら、梅津さんも笑ってくれると思う。『しずちゃん強くなったな』って言ってもらいたい
「私の体の9割は梅津さんでできています。これからは、私の中にいる梅津さんと一緒に戦っていきたい。魂を受け継いで一生懸命やっていきたいです」。16年リオデジャネイロ五輪出場を目指す誓いの言葉だった
出典:http://blog.livedoor.jp/geino_repota/archives/30069489.html